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「毎日毎日、お前らのために働いてるんだよ俺は。わかってないんだなお前は?」
二度、三度と、力任せに続けて肩を殴られる。
「わかってる。わかってるよ、ごめんなさい……」
私は身をよじらし、苦痛に顔を歪めながら答えた。弟は、怯えきった表情で呆然と震えている。
「すぐに行け。すぐだ!」
父さんはそう怒鳴りながら、一際力強く肩を殴りつけた。
「あぁ!」
私は情けない声を上げて、勢いよくキッチンに倒れ込んだ。
「……大げさに転びやがって。さっさと行け!」
ジンジンとした痛みに、左腕全体が痺れている。
「はい……」
私はフラフラと力無く立ち上がると、痛みをこらえながら部屋へ向かった。
「姉ちゃん……」
「ほっとけ!」
「……は、はい」
心配して声をかけてきた弟を、父さんが一喝する。
私は部屋の扉を開けると、急いで制服を脱いだ。こんな格好じゃ、お酒を売ってくれないからだ。鏡に映った左肩に目をやる。青くなっていた打ち身が、大きく腫れ上がっていた。
「せっかく、治りかけてたのに……」
私はなるべく大人っぽい服に着替えると、涙をこらえながら夜の街へ飛び出した。
逃げ出せるものなら、逃げ出したかった。でも、弟の事を考えるとそれはできなかった。
誰に助けを求めていいかも、分からなかった。もし警察沙汰になったら、うちはどうなってしまうのだろう。もし中途半端な事をして父さんの怒りを買えば、私はどうなってしまうのだろう。
車のライトが行き交う、うだるような暑さの幹線道路を、ひとり、歩く。
このまま、どこか遠くへ行きたい。この地獄のような毎日から、抜け出したい。
母さんを失ったあと、父さんは酒に溺れた。ある日、夜中に目が覚めると、リビングで父さんが声を上げて泣いているのを聞いた。父さんは私達のために悲しみを押し殺して、日々を生きている。そのことは、わかっていた。私や弟では、父さんを悲しみから救えなかった。唯一、父さんが心の拠り所にしている憎っくき酒を求めて、私はフラつきながら夜の街を蛾のように彷徨った。
壊れていく心を抱えたまま、自分には何も拠り所が無いことを感じながらーー。
そして、翌日の放課後。私は、決意を持って二階の職員室に来ていた。深呼吸をして、脈打つ心臓を落ち着かせながら扉を開ける。
「失礼します」
中に入るなり、一目散に司先生の机へと向かう。
先生は、小テストの採点をしている途中だった。
「先生」
私の声に振り返った先生は、驚いた表情を浮かべた。
「森村。どうした?今日は授業が無かったのに」
私が先生に声をかけるのは、決まって復習に付き合ってもらう時だけだっだから、当然の反応だった。
「先生に、お話があるんです。二人で」
先生の顔色が、変わる。
「……わかった。生徒指導室の鍵を取ってくる」
詳しい内容を問うこともなく、先生はすぐに私の要望を聞き入れてくれた。
「すいません、お忙しいのに」
私の真剣な眼差しで、何かを察したのだろう。
「いや、いいんだ。さぁ行こう」
網戸にした職員室の窓から、セミの声がうるさく聞こえてきた。
先生の後を追って、三階の生徒指導室に入る。
職員室と階数の違うこの場所で先生と二人きりになれるのは、好都合だ。
私はそう考えながら、生徒指導室の内鍵をガチャリとかけた。
「……森村?」
席に着こうとした先生が、それを見て不思議そうに言った。
「先生。私を……私を、抱いてください」
先生が目を見開く。
「なんだって?」
私は構わず、制服のボタンを外し始めた。先生が、大きく動揺する。
「や、やめなさい!何を考えてるんだ、突然!」
全てのボタンを外し終える頃、頬をゆっくりと涙が伝っていた。
「私、このままじゃ。このままじゃ、自分が生きていていいのかわからないんです」溢れ出る涙を、私は止めようとしなかった。「辛くて。毎日が辛すぎて。もうどうにかなってしまいそうで……怖いんです、先生」
先生はそこまで聞くと、肌をさらした私から目を逸らした。
「……ちゃんと話してくれ。何が君をそうさせてるんだ?何が、君をそこまで追い込んでいるんだ」
私は父さんの顔を思い浮かべながら、下唇をギュッと噛み締めた。
「それは、言えません。先生に迷惑がかかるから……。でも、先生への気持ちは本物です!」
涙を流しながらも、そう言って真っ直ぐに鋭い眼差しで先生を見つめる。
「そんなんじゃわからない。森村、一体どうしたって言うんだ」
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