遁走

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遁走

 リンが死んでから、十日が経った。もう、何人殺したか分からないが、それでも敵兵が減った気配はない。寧ろ、より近くに肉薄されるようになっている。このままでは、刀槍矛戟(とうそうぼうげき)の届く所まで接近してくるのは時間の問題だ。殺しても、殺しても、後ろからすぐに次の兵がやってくる。まるで、海が波を寄せるが如くである。  東の空から、血のような色の光が放たれた。その光が、青黒い空の色を塗り替えてゆく。  この日も、セイと反乱軍は死闘を繰り広げていた。戦闘と言っても、それは一方的なものである。セイの体には、未だに矢も刀も届いていない。それに対して、反乱軍はこれまで甚大な被害を出し続けている。出し続けている、はずである。そのはずなのに、この日も敵兵たちは弓弩や戟、刀剣など、各々の武器を手に取って、暴君の首を狙いに迫りくる。  セイが特大火球をぶつけて前線から排除した投石機は、またしても繰り出してきて、宮殿に岩をぶつけてくる。それを再び火球で焼き尽くすと、その隙にセイの喉元に迫った弓兵や弩兵が矢弾の斉射を浴びせてきた。セイは魔術障壁を貼るのも億劫になり、露台から奥の部屋に引っ込んで矢を回避した。そして、再び露台に立ち、ありったけの雷撃を敵兵に食らわせてやった。  その、セイの後ろから、重たい足音が聞こえてきた。それと共に、乱暴に扉が開け放たれた 「覚悟しろ! クソ皇帝!」  とうとう、セイの部屋に、敵兵がなだれ込んできた。戟や剣を持った兵が、恨みのこもった目を向けながら襲い掛かってきた。セイは腰に佩いている剣を抜いた。この剣はシン国に伝わる伝説の聖剣であり、魔王の首を刈り取ったのもこの剣である。  セイの一番の武器は魔術であるが、剣の扱いにも長けている。そも、魔王は聖剣の力によってしか討ち取ることはできなかったのだから、剣が扱えなければ話にならない。その辺は彼を転生させた何者かが察したのか、セイには剣術の才能が備わっており、付け焼刃の剣術訓練でも達人と見紛う剣士となることができたのである。  突っ込んでくる戟兵の突きを躱し、彼らの胴を()いだ。忽ちに三人の戟兵が、鮮血を噴きながら後ろに倒れた。後ろにいた短兵たちは、剣を手にしたままうろたえている。その隙を、セイは見逃さない。短兵たちの首は、一太刀に刈り取られた。 「怯むな! 敵は目前だ! かかれ!」  後ろから、すぐに次の戟兵と短兵が現れ、その矛先を向けてきた。それもすぐに斬り伏せたが、またしても後ろから新たな兵が現れる。斬っても、斬っても、きりがない。  セイは部屋に入り込んだ敵を斬り捨てると、自ら扉の外に出て廊下に立った。 「これぞ魔を払う必滅の剣、その目にしかと焼きつけよ!」  聖剣が、光輝いた。セイは、まるで太陽の如き光を纏う剣を振りかぶると、眩いばかりに輝く光線が、剣から兵たちに向けて一直線に放たれた。光に呑まれた兵たちは、文字通り、蒸発してしまった。その背後の壁は、張り巡らせた魔術結界が耐え切れずにぽっかりと大穴が開いたのであった。かつて魔王の配下の兵たちを一掃した究極奥義である。 「はぁ……はぁ……」  体力よりも、気力が持たなかった。最早セイの精神は、限界の閾値(いきち)をとうに超えていた。  セイは力なく、しなだれかかるような腕の動きで扉を開き、部屋に戻った。もう、戦い続けるのは不可能だ。もう半分思考を失いかけている脳が、そう判断した。セイは干し肉を持てるだけ持つと、部屋の北側の壁にこっそり設けられた引き戸を開け、そこに入った。  その向こうには、梯子が架かっていた。ここを降りると、その先は地下通路に続く。皇帝専用の秘密通路だ。  セイは、冷たい地下通路を、重い足取りで歩いていた。少し、眠りたかったが、今眠れば、もう再び目覚めることは叶わないような気がする。それにもし眠っている間に、宮殿に侵入した敵兵が秘密通路を発見でもしたら大変だ。だから、眠ることはできない。苦しいが、今は耐えるしかないのだ。生きるためには……  逃げながら、セイは、何処で何を間違えたのかを、その溶けかかっている頭で考えてみた。答えは、簡単であった。侈衣美食(しいびしょく)に耽り、民を苦しめた。それに、民が耐え切れなくなっただけのこと。今、自分はその報いを受けているのだ。  ——嫌だ。死にたくはない。  そうだ、せっかく生まれ変わって、権力を手にしたのだ。そう簡単に死んでなるものか。外界からの情報が入らなくなって久しいが、何処かの郡には、まだ反乱軍に破られていない地方軍があるはずだ。そこに都を遷して体勢を立て直し、捲土重来を期そうではないか。  セイの口角が、吊り上がった。一筋の希望が生まれたことで、彼の顔には自然と笑みが浮かんだ。 「ははは……ははははは……」  石造りの地下通路に、笑い声が響き渡った。
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