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刺客
カンヨウの城外にある小さな農村に、静かに流れる小川がある。その畔に、一件の小屋が建っていた。
その小屋から、せわしく外を眺め、左右に視線を振っている、一人の少女がいる。いや、少女というのはあくまでも見せかけであり、その正体は男子である。
少年は、名をケイカといった。彼の兄であるタンという男は、セイの戦友であり、共に魔王と戦っていた。魔王との戦いが終わり、皇帝に即位したセイが酒食に耽って堕落していくのを見て彼は何度もそれを諫めた。だが、そのことでセイに疎んじられるようになり、君側の奸による「かの者は皇帝を弑して帝位を奪おうとしている」という讒言を信じたセイによってとうとう死を賜ってしまった。処刑ではなく賜死であったのは、今までの功を慮り、それに報いたのであろう。
「俺の眠る土に梓の木を植えてくれ。あいつは遠くない未来に死ぬだろう。その木で奴の棺桶を作ってやれ」
私邸に剣が贈られると、タンは弟と妹の前で剣を抜き、そう言い残して、自らの首に白刃を押し当て自裁したのであった。
幼いケイカとその姉、チョウにとって、兄の死はこれ以上ない衝撃であった。この姉弟は、必ずや兄の仇を討たんと、固く誓ったのである。
まず、チョウは敵の懐に入らんと、自ら後宮に入った。彼女の美貌はすぐにセイの目に留まり、その寵愛を受けるようになった。その寵愛の程は甚だしく、セイは片時も彼女を離さなかった。チョウはある時、この暴君を酒に酔わせると、頃合いを見計らって、皇帝の使う専用の抜け道について聞き出した。暴君はあっさりと、雄弁に抜け道について語って聞かせた。
チョウは、密かに使いを遣り、故郷で暮らしていたケイカに書簡を送った。そこには、皇帝専用の抜け道について、詳細に記されていた。この抜け道を遡るようにして宮中に忍び込み、暴君を暗殺せよ、ということであった。
チョウは当初、自らセイの首を取ろうとした。だが、運の悪いことに、彼女は病を得て腕が麻痺してしまった。セイに近づける立場でありながら、これを殺せる体ではなくなってしまったのである。
これを受け取ったケイカは、手が震えるあまり、書簡を床に落としてしまった。仇を討つ機会を得たというのに、ケイカの心は少しも奮起しなかった。寧ろ、恐怖が彼の心を覆ったのである。皇帝は、絶大な力を持つ。たとえ数十万の軍隊が相手でも、一人で撃滅してしまうであろう。そんな男の懐に忍び込んで首を取るなど、自分にできるはずもない。そう思ってしまったのだ。
その後、程なくしてチョウは亡くなってしまった。後は、全てケイカの双肩に託された。計画のためとは言え、兄の仇である皇帝に抱かれた彼女の心労は一体如何程であったろうか。思えばそれが彼女の心身を蝕み、死へと追いやったのかも知れない。
そうして、ケイカが復讐と臆病の間で揺れ動き懊悩している間に、天下の情勢は大きく変わった。地方の反乱が膨れ上がり、官軍は崩壊し、帝室に仇なす無万数の兵が、国都カンヨウに集結した。暴君を弑す、ただそれだけのために。
ケイカは都を目指す反乱軍の大軍勢を見て、計画の変更を決意した。自ら懐に飛び込むのではなく、向こうから来るのを待つのだ。あれだけの反乱軍なら、確実に皇帝は追い詰められる。皇帝が宮殿を捨てて抜け道を通った所を待ち伏せし、そこで仕留めるのだ。もし、抜け道を使う前に反乱軍によって討たれたのならそれでもよい。自分が手を下すまでもなかった、ただそれだけのこと。
ケイカは、実家に姉が残した女物の服を身に纏い、放棄された小屋を改修してそこを拠点とした。その小屋は丁度、皇帝の抜け穴が通じている場所を眺めることができる位置に建っている。元よりケイカは、姉そっくりの美貌を持っていた。温麗な顔貌に、ほっそりとした手足。女物の服を着ると、とても男子には見えない。
この年若き刺客は、懐に匕首をしのばせて、じっと待ち構えていた。さながら岩陰に潜む蛇が目の前に獲物の通るのを待つように、運び込んだ食糧を食みながら、ひたすら待った。
だが、待てど暮らせど、皇帝は姿を現さない。もしや、反乱軍が敗れたのでは……と疑ったが、さりとてここを動いて様子を見に行く訳にもゆくまい。自分の計画通りに事が運ぶと信じて、じっと待ち続けた。彼は少食ではあったが、それでも備蓄の食糧は、どんどん目減りしてゆく。ケイカは焦り始めた。
二月が過ぎた頃の、ある朝であった。
とうとう、彼の仇は現れた。長い金髪を揺らめかせ、煌びやかな衣装に身を包んだ色白の男が、小屋の前に姿を現したのである。
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