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男女
対面する男の両目を見て、女の目元の笑みは、口は、軽薄めいていく。女は常に、反論を立てている。しかし、口に出すことはない。向き合う事から逃げる。彼女は卑怯だった。
男は女との関係が悪化する事を恐れた。男が話せば、女はよく笑う。会話は弾むが、心は乾燥しきっていた。互いに傷つき、ほんの僅かな刺激に耐えられない程、酷く弱りきっている。
男は三十路だったが、本質は幼児の嗜虐性と差は無かった。彼にその自覚はなかった。
抑圧された中に、女は幾千もの感情を刻む。しかし、掬い上げて形にしてみようとすれば、砂の様に抜ける。
苟且の平和の上に寝かせた思考から本心が抜け落ちて、自己嫌悪が生まれる。女は卑怯者の自分に愛想が尽きていた。悪循環から脱ける為に素を曝せば、決まって血が噴く程の乱闘になる。互いに憎悪ばかりが残り、必ず女は敗けるが、憎悪を形にして己の感情をそれと認める事に意味があると彼女は確信していた。
乱闘の後、日を置いて、話し合う場が設けられる。同じ問答を何度も繰り返した。彼女が口に出して、形にすれば、一粍は二人の理解が深まる。その度、双方大変な労力を要するが、溝は少し埋まった。決定的な懸隔が浮き彫りになるが、確かに歩み寄ってきた。男はもう一歩踏み出す。しかし、女には歩み寄る気力が無い。男女共に、ほとほと疲弊しきっていた。
女はまた男と向き合おうとして、口を閉じた。声が出ない。喉に栓をした様だ。閉塞感と酷い飢餓感に詰まり、息が震える。淘汰される主張を惜しみ、形にならず、消化出来ない。継ぎ接ぎに築いた言葉が霧散する。言葉に伴う痛みに耐え兼ねて、口を閉じた。女は未だに人を傷つけることに臆病だった。喉が痒い。男に絞められて出来た痣に指を伸ばす。気を紛らそうと、顎の下の傷を掻いた。
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