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男児
その男児は石段の上に立っていた。男児は丸い豊かな頬を上げ、不揃いな歯を見せて笑った。赤と紫のビビッドカラーの靴を、足下の石に執拗に押し付けている。男児の足の下には蝗が居た。男児が足を上げた。蝗は腹から汁をぶち撒けて、足で石を掻いている。平泳ぎの様だ。蝗の足の動きを見て、そう感じた。
虫を殺す事の何が悪いのか。
未だ叱っていないにも関わらず、男児は問い掛けた。
この子供は、一度叱られた経験がある。理由を聞いたかいないか、その時受けた説教に、この子供は納得していないのだ。男児の心境を想像し、答えを用意しようとして、止めた。生憎、倫理を説く程の立派な心構えを、私の様な人間は持ち合わせていない。
私は答えた。
殺しても、殺さなくても、どちらでも良い。
男児の行いを否定するよりも、効果的に伝える方法がある。男児の奇行に倣って、蝗の死体を、スニーカーの踵で強く押し潰した。男児は顔中に皺を寄せて、小さく俯いた。
虫が、可哀想だ。そんな事をしてはいけない。
男児は呟く。虐げる側から見る側に立場が入れ替わったことで、男児は客観的な視点を持った。主張が一変した。
しかし、男児が考えを改めたのは、一時的だった。間を置いて男児は問い掛けた。
「虫は好き?」
「嫌い」
私の答えを聞いて、男児は零れんばかりの大きなまなこを見開いた。不揃いな歯を見せて笑い、引攣った蝗の翅を抓んで、私の顔に投げた。その時の男児は、蝗を虐げていた時と全く同じ顔をしていた。
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