星降る夜に悲涙はいらない

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 家賃11万円の賃貸アパートの一室。垂れ流しているテレビ番組では七夕の流星群を前代未聞とセンセーショナルに取り上げている。  洸也は、画面の中で熱を持って話す有名人を眺めながら、ソファに深く身を預けていた。  そんな洸也に、カウンターキッチンから美津穂が声をかける。 「聞きたいことがあるんだけど」 「何?」 「私を選んだ理由」 「もう一回プロポーズしろって?」 「してもいいよ。けど、言い方変える。香織を選ばなかった理由」  マグカップをローテーブルに置いて、美津穂が洸也の隣に座る。カップの中でブラックコーヒーが揺れている。 「聞いて気分のいい話じゃない」 「わかってる。だってそうじゃなきゃ、あんた達はくっつくもの」 「頭のおかしい話をする。信じられない話だ」 「洸也は私を煙に巻いたりしない」  洸也がため息を着いた。 「私は知っておくべきなの」  迷いのない美津穂の言葉に、洸也がもう一度ため息を吐いた。  乾いた喉を湿らせるように、一口だけマグカップの中身を口に含む。 「俺と香織、達郎は物心ついた頃から一緒だった」  知ってるだろ、そう言って、ゆっくりと洸也が言葉を続けていく。 「田舎の片隅。建てる場所を間違えたんじゃないかってアパートに、ウチと香織の所の2世帯だけ入ってて。同世代の子供も少なくて自然と一緒過ごす時間が多くなった。ガキの頃は何にも気にすること無かったけど、その内、あいつを目で追うことも増えた。初恋ってやつだ」  自嘲するような笑い方をして、ぽつりと洸也が言葉を零した。 「その頃から夢を見る」  洸也がマグカップを覗き込む。 「場所はいつも違う。時代も違う、世界すら違う。変わらないのはひとつだけ。そこには俺と香織が居る。外見だって違った。なのに確かにわかるんだ。手の中に居る女が香織だって確信している。いつも俺は泣いていて、だからって訳じゃないが、それが別れの場面なのはすぐにわかった。あいつはいつも申し訳なさそうな顔で、そんな別れが堪らなく嫌だった」  両手で握られたカップの中で黒色が波を立てる。 「最初はたまに見る悪夢の類だと思った。でも違った。週に一度、四日に一度、二日置き、毎日、毎日毎日毎日。夢の話だ。現実じゃない。分かってる。でも間違いなく、俺の手の中、あいつから零れ落ちていくものがあって--看取った。今日も看取った。昨日も、一昨日も、一年前も、俺はあいつを看取った。明日だってそうだ。来年も再来年も、俺はあいつの最後を見て、泣いていることしか出来ない」  洸也の声が震える。苦痛に耐える声だった。完治することのない傷。そこに残ったカサブタを音を立てて引きちぎっていくような、そんな作業をしている。過去の傷が抉れて血を零していた。 「俺は頭がおかしいんだ。初恋の女を思えば思うほど、そいつの死に様を夢に見るイカれた--」  声が途切れた。震える洸也の手をそっと包む手があった。気づいたように振り向く先に、静かに微笑む美津穂が居る。 「大丈夫。ありがとう」  言葉に促されるように、洸也は深く呼吸をした。頬には涙が流れた跡がある。 「どこまでいっても夢だ。現実じゃない。そんなもの離れる理由にはならない。なるはずがない。なっちゃいけない。だけど……」 「今も、見るの?」  言葉の切れ目に割り込むように、美津穂が尋ねる。  洸也は彼女の問いに首を横に振った。  美津穂と出会い、友人として過ごすようになって徐々に夢を見なくなっていった過去を洸也は語った。 「最低だな。悪夢から逃げたくて、だから俺は--」 「そんな訳ないでしょ」  頬を掴んで美津穂が強引に洸也を振り向かせる。安らぐような笑みに、美津穂は僅かな怒りを滲ませていた。 「ゼロイチで割り切れるものじゃない。あんたが香織を想うことはいいの」  美津穂が添えていた指で、悪戯をするように力なく頬をつねる。 「あんたは私を仕方なく選んだの?」  洸也が摘まれた頬を引き伸ばしてブルブルと首を振った。 「違う。それは絶対に違う」 「なら、それでいいじゃん」  酷い顔を作る洸也に、美津穂がくすくすと笑いを漏らす。  「これが最後」  美津穂の手が洸也の目元に伸びる。 「いい? 覚えておいて。私は、あんたを絶対に泣かせないから」  未だ残る涙を彼女がそっと拭った。
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