星降る夜に悲涙はいらない

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 肌に纏わり付くような熱気を孕んだ蒸し暑い夜。既に日常になった熱帯夜の中で、香織は部屋の明かりを消したままに狭いベランダへと出ていく。  ベランダから覗く夜空は、星がよく見えた。  香織が視線を手元に落とす。着信を知らせて携帯電話が鳴動を続けていた。止まらない着信画面をしばらく見ていたが、最後にはその電話を取る。 「もしもし」 『やっと出た』  香織は通話越しに懐かしい声を聞いた。 『忙しかった?』 「ううん。気づかなくて。ごめんね」  香織は小さく、相手に伝わらないように息をつく。それから日本に居た頃の自分を引っ張り出すように明るい声を作った。 「久しぶり、美津穂。洸也とは上手くやってる?」 『当然でしょ』 「それは良いことだね。そっちは朝、だよね?」 『朝というか、昼? ってことはそっちは夜か。一回考えないとわかんないわ、時差って』 「うん。星が綺麗に見えるよ」  久しぶりに聞いた友人の声に、香織が疑問する。 「電話なんて珍しいね」 『みんなと連絡取ってないでしょ、あんた』 「ちょっと思う所がありまして」 『尊重はするけど、気に入らないな』 「そういうことをちゃんと言ってくれるから、美津穂のこと好きだよ」 『はいはい。私もあんたのこと好きだからね。忘れんなよ』  香織は電話越しの息を吸う音を聞く。 『後悔とか無いの?』  後悔なんて生きていれば付いて回るもので一つに絞るのは難しい。それでも彼女が問うのならそれは唯一つのことを指す。  美津穂の、そんな問いかけだった。  後悔が有ろうと無かろうとそれを告げれば、勘違いも甚だしい上から目線の馬鹿げた告白になる。だからこそ、香織が伝えることの無かった言葉。 「後悔なんて無いよ」  それを香織が即答する。 「私はいつだって私の最善を選ぶ。もちろん私以外だって。そうじゃない人なんて居ないよ」  香織が静かに伝える。 「私はいつも彼を泣かせるから」  記憶を掬い上げるように、香織が目を瞑る。 「ここに来るとき、彼とは笑って別れた。それで十分なんだよ。それ以上は、無いんだよ」  返答を聞いて、美津穂が諦めたように声を出す。  『意地っ張り。頑固女』 「自己紹介だね」  香織が応じて、張り詰めた沈黙が来る。だがそれも長くは続かない。堪えきれないという風に笑いが互いに吹き出した。  ひとしきり笑った後で、美津穂が尋ねてくる。 『ねえ、帰ってくるのはいつ?』 「明日世界が終わるなら、かな」 『あんたは--じゃあ、約束』 「約束?」 『世界が終わる最後の日が来たら、その時あんたは洸也の隣に居るの』  勝ち気な変わらない美津穂の声。 「後悔しない?」 『未練が無いほどに毎日が充実してるの。最後の一日くらい、あんたにくれてやるわ』  香織が問えば、わざとらしい上から目線で美津穂が返す。  美津穂らしい振る舞いに、香織の口元が綻ぶ。 「彼がそれを望むなら」 『確かに聞いたからね』  美津穂の言葉で、その話題は終いになる。  それからしばらく近況を話して通話を終えた。 「出るんじゃなかったかな。声を聞くだけで、駄目だな」  夜空を香織が見上げる。香織には願いがあり、そのための最善を選んだ。だけど置いてきたものも確かにある。 「その時が来ても、私の願いは同じ。けど、もし、そんな日が来るならその時は--」  満天の星空が彼女の眼前に広がっている。  流れることのない星々はただ粛々と、夜空を煌めかせる。
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