桜、ヒラヒラ――

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桜、ヒラヒラ――

 ピカピカの革靴に、真新しいスーツ。膝下スカートの女子高生と、ワンサイズ大き目の学生服。路肩を行く黄色い帽子の子供たちの背中では、これまたピカピカのランドセルがこれでもかと誇らしげに輝いている。  春。巣立ちと、門出の季節。  そんな中、平日の真昼間から公園で缶ビール片手に若さを無下にしている私って一体? 誰にとでもなく呟かれた問いかけすら、刻一刻と彩度を増していく朝の青空に溶けていく。  口内に弾ける苦味。我ながら贅沢な時間だと思う。  とはいえそれは「多忙な日々」の中にあって始めて贅沢という付加価値を持つのであって、御歳二十六にしてフリーター生活真只中の私にあっては、ただの「浪費」と言われても仕方がないだろう。  普通に中学を卒業して、適当に高校生活を送り、なんとなく大学にいって、とりあえず就職した。でもそこに思い描いていた輝かしい新生活なんてものは豆粒程もなくて、代わりにあったのは、毎日終電が無くなるまでの労働と、それに見合わない給料明細だけだった。 「これだから最近の若いヤツは――」  ただでさえ少ない睡眠時間を削ってまで散々に悩んだ末、意を決して切り出した私の辞意に、部長がこぼしたその一言。それを聞いて私は、怒るとか呆れるとかを通り超して、思わず失礼ながら笑ってしまった。  だって、そうでしょ? まさかこんな漫画みたいな、それこそ擦り切れるほどに使い古された台詞を、本当に言う人がいるだなんて。  かくして中断期間に突入した私の社会人生活は、目下現在進行形で、一度は終わりを迎えたはずのモラトリアムを突き進んでいる。  公園の街路樹の隙間から、今も駅へと向かってカツカツと小気味よく靴音を響かせていく新社会人達が、見えては過ぎ、また見えては過ぎていく。  文字通り颯爽と歩いていくそんな子たちを、ふいに捕まえては、耳元で囁いてみたくなる。 「ようこそ、現実へ」にこやかに諸手を広げ「これで君も、今日から晴れて社会の奴隷の仲間入りだよ」  ポカポカ陽気の春の空に渦巻く私の邪念。それはさしずめ、秋雨の如く。  そんな思考を遮るかのように、ポケットにしまったスマホがメッセージの着信を知らせてくる。いったい誰がこんな朝っぱらから? そんな風に勘ぐってみるも、思えばこんな私に連絡してくる相手なんて、片手で余るほどしかいない。  不精にも飲みかけの缶ビールを口で支えたままに、ササっと画面を操作してメッセージを表示する。思っていた通り、よく見知った名前が送信者として表示されている。 「今日はバイト? 俺休みなんだけど、暇だったら桜でも見に行かない?」  バイト先で知り合った五つ年下の彼からだった。彼はまだ大学生で、いわば夢に溢れた、目下モラトリアム真最中の身。返信を打つよりも先に、私はすぐさま電話をかける。  ワンコール――もう繋がった、さすが早い。そうして彼が何か言うより先に――何も言わせないように――口を開く。 「桜? あんた馬鹿じゃないの? あんなすぐ散るもん見たって私はむしろ気が滅入るだけなの。これから花開くあんたと違って、こちとら既に散ってる身なんでね」  グビッと一口。なぜだかそれは、先の一口よりも幾分か苦みを強く感じる。 「でも、悔しいことに今日も一日暇だから、付き合ってあげる」  猛烈に上から目線の物言いに、電話口の彼が「ふふ」と鼻を鳴らしたのがわかる。くそう、あいつの癖に中々生意気じゃないか。  さらに何か一言言ってやろうかと思ったところに「あれ? もしかして酔ってる?」なんてまるで気にしていないような問いかけが返ってくる。私はそれを敢えて無視してあげると、さっさと待ち合わせの場所と時刻を告げると、一方的に通話を打ち切った。  ああ、でも、桜か。  毎年の春に当たり前のように咲き乱れて、気づけばあっという間に散っていく。それがあまりに普通だと思いすぎて、ちゃんと意識してそこに心を向けたのなんて、いつ以来のことだろう。  そう考えると、どうしてか不思議と口元には笑みが浮かんできて、なんだ、思いのほか私は、誘われて嬉しいのかもしれない。  今一度時間を確認してみる。  待ち合わせの時刻は余裕を持って決めたつもりだけど、きっとあいつは、それよりも早くに待ち合わせ場所に向かうだろう。  ならば、私は――残った缶ビールを一気に飲み干し、さっと立ち上がる。今度はちゃんと出迎えて、「おはよう」ぐらいは言ってあげようかな。そうと決まれば、私も賑やかな朝の駅路へと歩き出す。  桜、ヒラヒラ。  散った花びら達は、風に吹かれて、一体どこへ行くんだろう?  地面、隣の家の塀の向こう、川の対岸、果ては見知らぬ彼の地へと?  それとなく広げた左手に、ヒラヒラと一枚の花びらが舞い降りた。
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