東向きの出窓から――

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東向きの出窓から――

 南向きの部屋に住みたかった。  新たな部屋を探すとき、そこに求める条件は人それぞれだ。  間取りや家賃は言わずもがな。そこに築年数や駅からの距離、駐車場の有無やオートロック完備など、細かな条件を挙げていけば枚挙に暇がない。事実、不動産関連の情報サイトを覗けば、そういった主種様々な条件をもとにした検索のテンプレートが出来上がっている。    これならきっと、自分の希望条件に沿った物件がすぐに見つかるはず――かと思いきや、ことはそう簡単にはいってくれない。現実問題、僕の希望する物件もなかなか見つからなかった。  駅から近いが、家賃が予算オーバー。  お手頃物件だが、通りに面した一階。  新築で収納も十分だが、室内洗濯機置き場がない。  終とは言わずも今後年単位での我が住処なれば、おいそれと妥協するわけにもいかない。そうして、担当してくれるスタッフさんには悪いと思いつつも熟考を重ね、ようやくこれだと思えるものを見つけていざ内見に向かえば、窓辺に迫る隣家の壁面に愕然とする。  本当に、まったくもって上手くいかない。  そうこうするうちにも貴重な休日は消費されていき、余裕をもって始めたはずの物件探しにも、さすがに焦りが出てくる。  条件を妥協するか、もしくは妥協せずに家賃を上げるか? 迫られる二者択一に戦々恐々の貯金通帳。もっとも、その家賃というのも多少の背伸びを――人から見ればそうかもしれないけど、僕自身としては相当に精一杯――すれば払っていけない額ではないのだが。  とはいえ、やはり毎月の家賃は安いに越したことはない。  世の中には二通りのタイプの人間がいる。  まず理想がありきであり、その為には多少の無理も厭わないタイプ。  理想はあるにせよ、適当な及第点を見つけ妥協するタイプ。  当然僕は後者であり、ならば取りうる選択肢は一つだった。その結果として僕はある条件を妥協し、そうして選ばれた物件――僕が今住んでいる部屋は、南向きではない。  表通りを入って住宅地を少し進む。それから百メートル程の緩い上り坂を登りきった角地に建つ、白い外壁のアパート。その301号室が、僕の城だ。  通りから少し離れているだけあって夜は静かだし、コンビニも近い。築年数もまだ若く、家賃も手頃で財布に優しい。ただ、一つだけ難点があって、駅までに結構な距離がある。手頃な家賃には、手頃なりの理由が必ずあるということだ。だから引越しの翌日、僕は荷物の整理もほどほどに、ホームセンターで自転車を買った。  そんな経緯で住み始めた今の部屋だが、住めば都とは言ったもので、学生時代以来となった自転車通勤も、最近ではすっかりペダルが軽い。爽やかな朝の空気を感じながら真新しい陽射しの中を走るのも、なかなかと悪くは無い。もっとも、冷え込む冬に、雨だらけの梅雨時だけは別としてだけど。  アパートの近くには小学校があって、毎朝通り抜ける公園脇でその集団登校の列と擦れ違う。小学生たちはすれ違う僕にも挨拶をしてくれて、その元気一杯の「おはようございます」に、僕は毎朝元気を貰う。だから、ポケットに入れたオーディオプレーヤーの再生スイッチは、それまで押さないことにしている。  南向きの部屋に住みたかった。  そんな僕の部屋には南向きの窓は無くて――代わりに、東向きの出窓がある。  理想とは違う。悩みに悩んで、結局最後は妥協してしまった。でもそれが、時としていい結果に繋がる、どうやらそんなこともあるらしい。  今日もまた夜が明けて、朝焼けから世界が鮮やかに浮かび上がる頃、その東向き出窓から差し込む真新しい陽射しで僕の一日が始まる。
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