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トワイライトゾーン――
気がつくと、夜が明けていた。
投げやりに閉められたカーテンの隙間から淡い光が差し込み、ほんの数分前まで真っ暗だった部屋は、まるで水底のような仄暗い青に染まっている。そんな部屋の一角では今も煌々とデスクライトがともり、同じ光であるはずなのに随分と硬質なその明るさに、僕はギィとなる背もたれに体を預けた。
地質学の小テストに現代建築構造のテキストのまとめ、更には実習のレポートの提出期限も迫っている。週明けには材料力学のテストが控えていて、製図の提出課題であるCADデータはまだ半分も仕上がっていない。
喫緊を要する案件が目白押しであり、長期的な視点に目を向ければ、年明けに各社エントリーシートの提出が控えている。
体一つではまるで追いつかない――それにも関わらず、呑気なサークル仲間は毎日のように飲み会だ合コンだの誘いをよこすし、バイト先のシフト表も決まって週5でビッシリだ。
まさか大学生がこんなにも忙しいだなんて――。
まるで確保できない毎日の睡眠時間に、元よりあるでもない体力はゴリゴリと削られていき、さしもの若い体も悲鳴を上げている。
今日も今日とてバイトが終わるやパソコンに向かい、ひたすらに課題を仕上げていた。眠気と疲れとで作業効率はまるで上がらないし、ひと段落するごとについため息が零れ出てしまう。
はぁ、と今もまた無意識に零れたそれは我ながらひどく重たげで、なんだか僕の足元には、今までついた数多のため息がドロドロと澱の様に溜まっているのではないかとすら思えてくる。
そして、そんな淀んだ吐息は部屋に響くプリンターの印刷音にかき消される。1枚、また1枚と白紙を飲み込んでは、僕が数時間を費やした課題を淡々と印刷し、吐き出していく。
僕の毎日は充実している――と、友人は言う。
果たして本当にそうなのだろうか? ひたすらにモニターを見るでもなく印刷を待っていると、そんな疑問を呈さずにはいられない。
日を追って出される課題を黙々と仕上げ、開いた時間はバイトをこなす。講義の空き時間に学生課に顔を出しては求人情報をチェックし、何も無い日は無い日で、友人同士の飲み会で馬鹿騒ぎをしては終電を逃し、カラオケや漫画喫茶で時間を潰しては路地裏や歩道でゲロを吐く。
確かに、やることは尽きないし、それなりに楽しんでもいる。でも、それを充実と呼ぶのかと言えば、なにかが違う。
まずはこれに手を付けて、それが終わればまた次を――一見能動的に見えるそれらは、その実全てが受動的であり。
それに気づいてしまったとき、僕の心はまるでエネルギーを使い果たした惑星の様に乾き、冷めていった。
それはさて置き、僕の心が無味乾燥状態に陥ったところで光の速さを超えるわけではないので、相対性理論の言うところ、当たり前のように時間は流れ、つまりは明日――夜が明けているので厳密には今日が――来てしまう。
そうなると結局のところ、必要なのは心を潤す最高級の化粧水よりもちゃんと耳の揃った完成済みの課題であり、プリンターに頑張ってもらう他はないのである。
今日も勤勉に仕事をこなしたプリンターが吐き出した課題を、机の天板でトントンと耳を揃え、その隅を綴じる。これでようやく長かった今日が終わり、幸いにも二限が休講となった明日は昼まで眠ることができる。
カーテンの漏光は徐々に明度を増し、もはやデスクライト無しにも部屋の様子がわかるようになってきた。
ふと思い立ち、カーテンを大きく開いてみる。現れた窓ガラスはびっしりと結露に濡れ、その向こうにはいまだ目覚めぬ街並みを前景に、青紫と山吹色のグラデーションに染まる空が広がっている。次いで窓を開け、刺すような冷気が舞うベランダに脚を踏み出してみる。
白い息が舞い、反射的に体がぶるっと震える。
彼方に染まるは黄昏時――いや、朝だから誰は彼時か。
広がる光景に、まだ高校生だった時分、古典の授業中に担当教師の話していた雑談がふと思い出される。
やっぱり、充実しているのかもな。
なぜだかそう思えた自分を少し笑い、移り行くトワイライトゾーンに、柔らかな白い息が揺れていた。
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