Appoint Me――

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Appoint Me――

 視界に溢れるたくさんの人達。信号が変わるたびに寄せては引いていく人の波。今日もまた数多の人々の人生が交わり、絡まりあっては葉脈の様に不規則に分岐していく。  人々が発する熱が大きなうねりを形成し、この街を満たしている。  仕事帰りのサラリーマンに、手をつなぐカップル。飲食店は準備中の札を裏返し、街頭ビジョンがニュース速報を伝えている。乗客を満載したバスが通りを行き、右折待ちのタクシーがクラクションを鳴らす。  それぞれがそれぞれの今日を生き、今が過ぎていく。  私は見るでもなくそれを眺め、思う。どれもみんな、知らない顔だと。  寂しくなんて、ない。  言葉に出さない思いが、それでも脳裏に繰り返す。そう、寂しくなんてないんだ。  例えば今が夕立の過ぎた雨上がりで、西の空がハイコントラストな茜色に染まっていたとしても。  申し合わせたかのようにように外灯が点り、街行く人たちの楽し気な笑い声がきこえたとしても。  イヤホンから流れる音楽が、壮大なオーケストレーションからサビに差し掛かったとしても。  いつだって私は私で、人とは違う。その場その場の雰囲気に流されるほど私の感情は主体性のないものではないし、安易な感傷にシンパシーを抱くほど安くもない。  だから、寂しくなんてない。  たとえ私の指に嵌まった指輪が――ほんの一日前まではペアリングだったそれが、昨日となんら変わらずに綺麗に輝いたとしても。  毎日、いろいろなことを考えていた。  自分のこと、家族のこと、友人のこと、彼のこと。  今日のこと、明日のこと、来週のこと、その先の未来のこと。  いつだって時間は足りなくて、それでも考えることはまるでなくならなくて。なくならないことを友人に愚痴りつつも、それが愚痴れることがたまらなく嬉しくて。  今にして思えば、友人はよく私の愚痴に付き合ってくれていたと思う。だって、会うなり不満を言っていた私だが、その実それは、不満というテンプレートに強引に押し込んだだけの、ただの惚気だったのだから。  そんな私の頭が、今は不思議なほどに空っぽだった。どこを覗いても嫌に見通しが良くて、ただただ真っ白な空間が広がっている。だからだろう、私が呟くでもなく唱えた言葉はそこで幾度も反響して、見事なまでに発信源である自分自身に返ってくる。  背中を預けた駅ビルの壁はタイル張りが冷たくて、背中が、肩が固い表面にゴツゴツと落ち着かない。  時間とともに雑踏は喧騒を増し、拡大し続ける街の熱が私の存在感を奪っていく。いつしか私も、その場にいる誰かにとってのその他大勢に成り果て、ポートレートならば盛大にぼやけてしまう背景の一部となってしまうのだろう。  寂しくなんてない。祈るように、もう一度。  それでも瞳は涙を湛え、私の意識とは無関係に溢れては、淡々と頬を伝い落ちていく。  まるで働かない頭にあって、ひとつだけわかったことがある。  人は本当に寂しいとき、こう言うのだと。 「寂しくなんてない」  衝動的に指輪を抜き取り、それを地面に叩き付け――られず、振り上げた右手が力なく落ちていく。  そうだ、私は寂しいんだ。本当はずっとそうだってわかっていたのに、でも、素直にそれを認めることができなくて。  毎週金曜の午後六時、駅東口の駅ビル前。特別に決めたわけでもないのに、いつのまにかそう決まっていた、二人の約束。終わったはずのその約束に、私はまた来てしまった。  寂しくなんて、ないはずがないよ。  嘘つきだった私の頬、またついと雫が伝っていた。
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