6人が本棚に入れています
本棚に追加
雨の日に顔を上げて――
Time is money――日本語で言うところの、『時は金なり』
何も、時間とお金が等価だなんて考えることはないけれど、そんな私でも、この時間は貴重だなって思うことはある。
それは、朝の時間。
思うに朝の一分っていうのは、その他の一分、例えば残業中のだらだらと過ぎてしまうそれなんかとは全く持ってその重さが違うように思う。出勤差し迫る朝の一時にあって、無駄にできる時間なんてこれっぽっちも無いからだ。
え? ならギリギリまで寝ていないでもっと早く起きろって? それこそ余計なお世話というやつだ。それに、時間とお金が等価だとして、毎日の眠りから目覚めるその寸前、たゆたう微睡みに費やす数分こそ買うに叶わぬ至高の贅沢なのだから。
そんな忙しい――それこそランチが評判のあの店の厨房もかくやと言わんばかりの――朝だから、何かほんの些細なずれや不具合に、私の気持ちは酷く滅入らされてしまう。
昨日、メイクを落とさないまま眠ってしまったこと。
お気に入りのブラウスのボタンが一つ取れてしまったこと。
スマホの充電をすっかり忘れていたこと。
なぜだか洗濯機がご機嫌斜めで、いくらボタンを押してもウンともスンとも言ってくれないこと。
カーテンを開けた窓の外に、シトシト雨が降っていること。
そうして今日の朝も、私の心はまるで二次曲線のように豪快な下降線を描いて落ち込んでいく。
いっそのこと、今日はもう仕事をサボってしまおうかな? むくむくとそんな気持ちが湧き出てくるが、あいにくと先輩から、今日中に作りかけのプレゼン資料を提出するよう義務付けられてしまっているのでそうもいかない。課長から指定された期限はまだ先だけれど、残念なことに私の作成した資料が先輩のチェックを一回でパスした試しがない。なれば今回も当然手直しが入るだろうし、それを思うとやはり、時間は無駄にできない。
最悪週末に残業して仕上げれば――それはそれで、上司や総務からうるさく言われてしまうのだ。
「残業時間を減らせ」
「社外へのデータ持ち出しは許可できないので、就業時間内に終わらせろ」
だったら先に人員を増やしてくれと言いたくなる。
「明日は未明から朝にかけて曇り、昼過ぎからは日も射すでしょう」
玄関先でヒールをひっかけながらに「どこが?」と昨日の天気予報に悪態をついてみる。
雨の日なんて大嫌い。思いつつビニール傘へと伸ばした右手が、ふと止まる。シューズボックスに掛けてあるビニール傘の白い柄の向こうに、もう一本の柄が見える。
その木製の柄にはまだ包装紙がかかっていて、きっと開いてみれば、その布地の折り目もピンと角が立っているだろう。
こんな最悪な日だからこそ、使ってみようか? 思い立った私は包装紙を剥がすと、その新品の傘を片手に玄関を出ていく。
今の彼とは、付き合ってもうすぐ三年。でも、誕生日プレゼントがこの傘なんて、ちょっと変わってると思わない? 新品特有の肌馴染みの無さにそう思いつつも、通りでそれを開いてみては、思わず笑ってしまう。
一見して地味な紺色の傘。見上げたその裏地に、青空が広がっていた。
最初のコメントを投稿しよう!