1 プロローグ  12:55

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1 プロローグ  12:55

 俺は、目の前でもがき苦しむそいつを、顔をしかめながら見下ろしていた。  たった今、そいつを殴ったものを握りしめながら、少し身構えつつ様子をうかがう。殴られたダメージで筋肉が痙攣しているのか、そいつは足をばたつかせ、体をねじらせる。    それは、迫りくる死に抵抗し、最後まで生きようとする生への執着のように見えた。だが俺はそんな様子にすら不快さを覚え、醜いとさえ思った。  こんなことになってしまったことに、後悔はない。むしろ、突如として現れたこいつが悪いのであって、怒りさえ感じていた。今日でなかったら、穏便に、逃がすという選択もあったかもしれない。だが最悪なことに、こいつが俺の部屋にやって来たのが大事な客人が来る日であったということに加えて、その約束の時間がもう間もなくだったということが、手を汚すという判断に至ったわけである。    普段は何をするにしても優柔不断振りを発揮する俺だが、今回は素早かった。  相手の言い分や立場などお構いなく、ただ一方的に、無慈悲に実行した。  手に持ったものでそいつを殴った感覚は覚えてない。とにかく、動けなくなるように狙いを定めて殴った。    殴られたそいつは、よたよたと這い、少し先であおむけになった。その時、ふと、そいつと目があったように感じる。普段は見ることのないその顔を見て、俺は嫌悪感に身の毛がよだつのを感じた。出来ることなら目をそらしたい。長く見続けることで、目の前の光景が脳内の記憶にアップデートされていくような気がして、そのことに吐き気を催しそうになったが、そうなっても俺はそいつから視線を外さずにいた。    それは、俺が生命の尊厳を踏みにじり、殺しという禁忌を犯した責任を感じているからではない。  また、最後の瞬間までどうなるのか見届けようという、好奇心や、ある種の情緒から発せられているわけでもない。  俺は、そいつの死を確認した後、その亡骸を排除する必要があった。大事な客人が来るこの部屋に、そいつの存在があったことを知られるわけにはいかない。それはある意味、そいつの息の根を止めること以上に重要なことだった。この部屋で起きた出来事の形跡を残すことは許されない。そいつがいた痕跡を完全に消し去らなければ、俺に明るい未来はない。  足掻いていたそいつの動きが鈍くなってきた。やがて、ろうそくの灯が消えるように、その動きは止まり、そいつは息絶えた。天を見上げるそのむくろに命の輝きはなく、その体は”死”以上に漆黒に見えた。  殺めた後の感情に浸っている時間はない。約束の時間まであと5分といったところだろう。あともう少しすると、大事な客人がこの部屋に足を踏み入れる。それまでに、目の前に転がるこの亡骸をなんとかしなくては――。  俺は、身構えて立ち尽くしている間に、床に根を張ったのかと思うほど重くなった足を一歩、眼前の亡骸に触れないように注意しながら踏み出し、やがて動き出した。
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