彼女は狂犬の飼い主。

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彼女は狂犬の飼い主。

「余計なことすんじゃねぇ」 「白川さん!」  このうだるような暑さの中、黒のスーツをきっちり着込んだ男。他の男達と違ってチンピラ感がない。さん付けで呼ばれていることからも、この男がこの場で一番立場が上なことは明らかだった。 「お前ら、外に出とけ」  男がそう言うと、残りは素直にそれに従う。 「――――」  ゴクリ、緊張に唾を飲み込んだら、いやに喉に張り付いて痛かった。  軽はずみに馬鹿な真似はしそうにない。  その代わり、容赦のないことも平気でしてきそうで怖い。 「なぁ」  男はこちらの目の前でしゃがみ込んでこう言った。 「お前、偽物だろ」 「な……」  簡単に核心を突かれて、心臓が縮み上がる。こんなよその男に、一発で見抜かれるようなものではないはずなのに。 「何を根拠にそんなこと」  けれど、ハッタリかもしれない。そうに違いない。 言い聞かせて、鼻で笑ってやった。 「時任あやめが替え玉用意してんのは知ってんだよ、今に始まったことじゃねぇ」  男の表情は凪いでいて、感情が読めない。本当に確信しているのだろうか。  確かに、時任あやめに替え玉がいることは、一部では知られていることなのかもしれない。今まで、彼女の身代わりに痛い目にあった娘達はいたはずなのだ。  つまり、手を出したヤツらは自分が空振りに終わったことを自覚している。よく似た娘をこちらが用意していることを解っている。それは、そうかもしれないけれど。 「どういう確証があるの? 私が偽物? よーく見てみなさいよ、こんな瓜二つの他人がいて堪るもんですか」  多分、今までのどの子よりも、私は時任あやめに似ている。恐ろしい額の借金をチャラにしてでも、耀司は私を欲しがったのだ。時任あやめの身代わりに。  その事実に胸が痛んだ気がしたが、無理矢理蓋をした。  今そんな感傷に浸っていても、何にもならない。 「時任あやめにしてはあっさり掴まりすぎなんだよ。罠かと思うくらいな」 「実際そうかもしれないじゃない」 「それにしては護衛がしょぼかった。まぁお前がなかなかに肝が据わってることは認めるが」  しくったな、と男が小さく舌打ちをする。あくまで私を偽物だと思っているらしい。 「まぁ試しに待つだけ待ってみるか。確かに、本物の可能性もあるにはある」  けれど、確信もしきれないのだろう。見た目だけの話をすれば、偽物だとは断言し辛いくらいに本人に見えるだろうから。 「来るかね、佐山は」 「耀司?」  唐突に出て来た名前に、反射的に訊き返してしまう。 「……本物か?」  すると男はちょっと意外な顔をしてこちらを見降ろした。 「何で急にそう思ったの」 「いや、妙に慣れた調子で呼び捨てにしたからな」  そう言えば、あやめお嬢様も耀司を呼び捨てにしていた。  他の組員に対してもきっとそうなのだろうと思っていたけど、違うのだろうか。耀司だけが、特別なのだろうか。 「私を餌に耀司をおびき出すつもりなの? 何それ、個人的な恨み?」  けれど深追いすべきはそこじゃない。さっきの男達に代わって、しばらく私のことを見張るつもりなのだろう。タバコをふかし始めた男に問いかけてみる。 「個人的な恨みが全くない訳じゃねぇが、まぁそれは正直どうでも良い」  無視されるかと思ったら、意外にも返事は帰って来た。 「潰すならまず、一番ヤバそうなヤツを叩かねぇとな? いくらアイツでも数の力には勝てねぇだろ」  こんなに簡単に教えていいのだろうか。それとも、この後私を始末するつもりだから別に何を訊かせても構わないとか、そういう? 「可愛い可愛い大事なお嬢に手を出されたら、後先考えずに顔の色変えて乗り込んで来てくれるかと思ったが」 「――――」  可愛い可愛い大事なお嬢。  それは組員として、というよりかはもっと個人的な意味合いに思えて、それが心に引っかかる。 「お前も妙な男に絆されたもんだ。もっとまともでイイ男を捕まえられそうなものを」 「は?」 「まぁ昔から妙にべったりだったもんなぁ。狂犬の佐山の飼い主は、ずっと年下の少女」  男が言うことは、私の知らないことばかりだ。そして、私の心にヒリつきばかりを教える。  大事なお嬢、可愛いお嬢、べったりだった。  耀司を飼い馴らしていた、時任あやめ。
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