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捨て駒
「お前ら、デキてんだろ」
おかしそうに男は乾いた笑い声を上げた。
「アイツのアパートで朝まで宜しくやってんじゃねぇか」
「!」
それは多分、“お嬢”の格好のまま耀司と帰路に着くことがあるから、そうして朝一番から“お嬢”に扮して家を出ることがあるから。
なるほど、事情を知らない人間が見たら、そう解釈するのが普通だ。
ただ言えるのは、目撃されてるのは間違いなく私だと言うこと。
本物のあやめお嬢様が来たことはない、はず。多分。
アパートに帰るのは一緒か、私の方が早いことがほとんど。誰かが来たら直ぐに分かる。部屋の壁だってぶち抜かれてるのだ。女の人なんて連れ込まれたら、すぐに分かるに決まっている。私が家事手伝いとして本陣にいる日中のことは、分からないけれど。
「だがなぁ、アイツ、忠義はあるだろうが女にはだらしないと思うぜ」
「……どういう」
男はまた笑った。甚振ってやろうと思っていることがありありと分かる顔で。
「アイツのアパート他にも女が出入りしてる。その女もまぁかなりの頻度で入り浸ってるぜ」
「…………」
それは間違いなく倉橋涼子に扮した私本人なのだが、男にそんなことは分からないだろう。まさか替え玉の私が更にもう一つ身を偽ってるなんて。
「面白くねぇな」
私があんまりショックを受けたような素振りを見せないので、ちょっと拍子抜けたようにそう言われる。
時任あやめとしては、どう受け答えするべきだろう。
真偽を疑われているのは分かっているけれど、私はどんなに不審の目を向けられようとご本人が登場しない限りは“時任あやめ”を貫かなければならない。
「耀司がどこで何をどうしようとそんなこと構わない」
少しだけ考えてから、口を開く。
「私、別に耀司のものじゃないもの。私が耀司を所有しているの。だから、私が気が向いた時だけ、私が耀司を好きにしてるだけ」
正しく振る舞えているかは分からないけれど、少なくとも時任あやめは耀司より立場が上だし、他人に支配されることは好まないだろう。どちらが優位にあるべきかと問われれば、それは間違いなく彼女の方だと思う。
「よそで好き勝手してんの構わねぇのか。……あぁ、でもそっちも別に佐山だけとも限らねぇか。なかなか奔放だな」
これはマズイ。
何だかものすごく不名誉なイメージを植え付けてしまったのではないだろうか。
勝手なこと言わないで、と口を開いて、けれどそれを言い切る事はできなかった。
「ま、お前が偽物の可能性もあるんだったな」
男がタバコを放って、靴底でぐりぐりと踏み付ける。妙なことに、こんなに熱いのに、スーツ姿の男からは全く汗の気配を感じない。
冷酷さを宿した目が、私を射抜く。
「あぁ、わざわざ偽物を佐山は助けに来るかねぇ。そんな労力をかける価値があるかどうか。アイツが守りたいのは組と、そこにいる本物のお嬢だろうしな」
嫌なことを言う。痛いところを突く。
耀司は助けに来てくれるだろうか。そんな価値が偽物の私にあるだろうか。
――――耀司は、来てくれないかもしれない。
心の底で、そう思っている自分が確かにいる。
だって私は時任あやめじゃない。彼の大切なお嬢じゃない。
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