救いか、地獄のはじまりか

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救いか、地獄のはじまりか

 あぁ、もう人生終わりだな。  それを悟ったのは、高校卒業のその日のことだった。  前々から、家の中がおかしいことは分かっていた。少しずつ荒んでいく生活。もう無理だと言い残して家を出て行った母親。嘘丸出しでいつも何か取り繕おうと必死な父親。  その日、式を終えて帰った家には誰もいなかった。それは数日前からのことだったのだが、今日は決定的に違った。いくつかのものがなくなっていて、馴染んだはずの家の中はとてもよそよそしかった。  すっからかんの通帳と引き換えにこっそり溜めていたへそくりが消えているのを確認した瞬間、あぁ、父親は蒸発したんだな、と悟った。  諦めと虚脱感。悲しみはなかった。ただただ徒労感があっただけ。  これからどうしよう、そうぼんやりと思った時に家に乗り込んで来たのは借金取りだった。 「返してもらわなきゃ困るんだよ」  父親が借金をしているだろうことは予想していたが、その額は想像の遥か上を行っていた。一体何をしたらこんな金額を借りる羽目になるのか。利子の分を考えたって、いくらなんでもひどい。  しかも。 「お嬢ちゃんの借金なんだから」  借金のうちの一部は、勝手に自分の名義で借りられたものだった。未成年だと思って、父親は好き勝手やらかしていたらしい。 「は、働いて、返します。ちょっとずつでも、必ず……!」  知らない関係ないと叫びたかったが、それをして通じる訳がない。  働いて返しても、増える利子の方がきっと多い。一生かけたって返せはしない。それも分かっていたけれど、必死にそう言い募った。でないと、もっと酷いことになる。それだけは。 「あのなぁ、オレらはもう十分待ってやってるんだよ、そこんとこ分かってんのか?」  そんなことを言われてもどうしようもなかった。だってこの瞬間に初めて知ったことばかりだったから。 「親の不始末は子の不始末だ。返す気あるって言うなら、分かりやすく誠意を見せな」 「ちまちま返されてもこっちも身にならねぇんだわ」  お願いしますお願いします待ってください、と繰り返しても聞き入れてもらえるはずもなく、無理矢理に髪を掴まれた。  全額はムリかもしんねぇなぁ、あぁやだやだ親父にどやされる、面倒そうに言いながら、身体を引き摺る男達に頭が真っ白になった。痛いとかそういうことを感じる暇もない。だってこれはもう駄目なやつだ。身体を使って返せというやつではないのだろうか。臓器を売れというのか春を売れというのか分からないが、確実に人生が終わるやつだと思った。 「よう、お前ら、つまらんことやってんな」  そこに響いたのが、また別の男の声。 「佐山!?」  涙で霞む目で見上げると、ド派手な男がそこにいた。  助かった、と思った気持ちは一瞬で霧散した。  派手な金髪、グラサン、じゃらじゃらしたピアス。何より目つきが怖い長身の男。先に取り立てに来た男達よりずっと派手で、ヤバそうな見た目だった。 「さんをつけろ、さんを」 「ぎゃっ」  野太い悲鳴が上がったと思ったら、派手男が先に来た男の足を思い切り遠慮なく踏み付けたようだった。 「お前、何を」 「この案件はオレが買い取った」 「はぁ?」 「お前の上司に訊いてみぃ、借金丸ごと買い取ったっつってるんや」 「はぁあぁ?」  テレビを通してしか聞かない、自分達とは違う西の方のイントネーション。  何を言っているのかよく分からない。いや、聞き取れないと言うことではなくて、意味しているところがよく分からなかった。  借金ごと買い取った? 何を?  それって意味があるのだろうか。取り立てて来るのがこの金髪派手男になったというだけで、待受ける地獄は同じなのでは。 「楡木(にれき)しの?」  床に転がっていた私に、男がしゃがみこんでそう声をかけてきた。それは間違いなく自分の名前だった。 「お前に選ばせたるわ」  何を? 「好きな方の地獄を選び」  男の目は底なしの沼みたいに深くて澱んでいて、掴みどころがなかった。 「一つ、理不尽な借金返済にその身を捧げる。やれることは何でも、使えるものは全部使ってな」  怖い。問答無用で飲み込まれてしまうと、そう思った。 「一つ、お前の借金、全部チャラにしてやる。そのかわり、ウチの組で働け。危ないことがないとは言わんけど、まぁどこぞに今すぐ売り飛ばされることはないやろ。上手くいけば、そこそこまともな生活ができるで」  選択肢の良し悪しはよく分からない。  男は正直にどちらも地獄だと言った。楽に逃げられる道などない。  けれど、もう一つの選択肢に希望をチラつかせてみせる。  嵌められているのかもしれない。きっとそう。  でも、もう他に自分ではどうしようもない。藁にでも縋りたい気持ちとはこういうことなのだ。 「そのそっくりな顔、見逃すんにはちょっと惜しいんや」  男は笑った。それはひどく獰猛な笑顔だった。
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