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唐突なのはいつものこと
「お勤めやで、お嬢」
早くから起きて、念入りに施していた化粧はこの一言でぱあになった。
あとは仕上げのミストを吹きかけるだけだったのに。
その不満が顔に出ていたのだろう、鏡越しに目が合った男は小さく苦笑する。
「しゃあないやろ、連絡が来てしまったんやし」
くすんだ金髪、両の耳を飾るいくつものピアス、整っているが目つきが怖すぎる顔、あちこちに頭をぶつけそうな高すぎる身長。起き抜けだからか、何故か半裸で上は何も着ていない。
一つ屋根の下で暮らす男は、いつ見てもいやに派手派手しい。
「ほんま、自由な人やで」
隣まで寄って来てしゃがんで来ては、スマホの画面を差し出してきた。
「え、いつの間に……」
SNSに張り付けられた画像には満面の笑みを浮かべた"彼女"がいる。
“これからちょっくら海の向こうに行ってきます♪ あとはよろしく!”
とのメッセージ。背景は多分空港のロビー。
「今頃空の上やで」
どうやら夜中の便で日本脱出を果たしたらしい。
「――――ということで、今日はそっちじゃあかんな。せっかく上手いこと仕上がったところやけど」
伸びて来た手がさらりと茶色の髪を梳く。弧を描いた口許、目元だって緩んでいるのに、けれどこの男の瞳の奥はいつも笑っていない。そう感じる。
あぁ、でもきっと面白がってはいる――――
そんな風に思っていたら、不意に男の顔がぐっと迫ってきた。
「ちょっと色濃いもんな」
「んむっ」
そうして強引に唇を塞がれた。
「ん、ん、っぁ……」
食むように、自分の唇を擦り付けるように何度も何度も強めに唇を重ねられる。抵抗の余地はなかった。されるがままに受け入れるしか。
「ん、こんなもんやろ」
そうしてしばらくしてからようやく解放される。
男の唇は斑に赤く染まっていた。
こんなことをしなくてもいいのに。
薄めても、そもそも色が合っていない。メイクは一から全部やり直しだ。
これは、時任あやめには似つかわしくない色だから。
「洗濯物はオレが干しといたるから、ゆっくり支度しぃ」
親指で唇を拭いながら男が言う。自分もつられて湿った己の唇に指を宛がっていた。
さっきまであんなに熱かったのに、離れればたちまち冷えて行く。
「…………本当に、気まぐれ」
何を考えているのか分からない。気の向くままに好き勝手この身に触れる。
――――まぁ、自分に拒否権なんてないのだけれど。
見送った男の背中一面には虎と牡丹の花があでやかに描かれていた。
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