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井戸端会議
最悪のタイミングでクーラーが壊れた。
扇風機はもはや、空気をかき混ぜるだけの装置と化した。えらいこっちゃ。
一人暮らしなのをいいことに、素っ裸になってみる。
さらにその状態で冷蔵庫を全開にして仁王立ちしてみる。
考え得る限りの涙ぐましい努力は一通り試してみた。
しかし人間、どうしたって裸以上に薄着になることはできない。
冷蔵庫にしてみても、無理やり人体を冷却しようとすれば色々と不都合が生じるだろう。
やめだ、ヤメ。
暑さに耐えかね、財布片手に家を出た。
幸いなことに、二百メートルも歩けばコンビニがある。
この日のための好立地、と自分を褒め称えながら歩く。
アイスの二、三個腹に入れれば、自ずと体も冷えるだろう……腹を壊すかもしれないが。
――で、アイスキャンデー二本の入ったビニール袋をぶら提げつつ、今度は家へと急いぐ。
行きがけには気付かなかったが、街灯が一つ切れていた。
なんとか荘というアパートの駐車場前だ。
今頃の季節になると、近所の若者や親子連れが花火をしに訪れる。
街灯がないとさすがに暗いので花火をしに来る者もいない……そう納得しかけたとき、何やら話し声が聞こえてきた。それも複数だ。
「こう暑いと、水ばっかり飲んじまうね」
「うちんトコは冷房が効き過ぎで困るヨ。夏だってのに、手先足先が冷えて冷えてネ」
「そう言えばお宅のお嬢さん、もうすぐ赤ちゃん生まれるんですってねぇ」
「あらー、お腹冷やさないようにしてあげないとー」
「俺の姪なんだがな、最近、どこの馬の骨かわからん男にちょっかい出されて困っとる」
「あの若造だろう? まだまだガキの癖に、生意気な態度だったな。ちょいとお灸を据えてやらんといかん」
盗み聞きするつもりはなかったが、いつの間にか足を止めて聞き入っていた。
内容から察するに、よくある井戸端会議のようだ。
しかし、なぜこんな夜遅く、しかも暗闇で?
日は沈んでいても、ヒートアイランド現象とかいうやつのせいで、外は腹立たしいほどに暑い。
ましてやこの暗さだ。これでは目の前の話し相手の顔も判別できないだろうに。
コンビニを出てから思いのほか時間が経ったのか、溶けかかったアイスキャンデーが動き、ビニール袋が音を立てた――その瞬間である。
暗闇から一斉に向けられる、何十個もの光る目、目、目目目目目目……。
呼吸を忘れた。逃げ出すなど、思いつきもしなかった。
そんな状態で耳に届いたのは、野太い壮年男性の声だった。
「黙ってろよ」
何度も頷いて、その場を立ち去ることしかできなかった。
〈終〉
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