第2話(4) えんむすび白熱

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第2話(4) えんむすび白熱

 もうだめだ。  綾乃は覚悟した。  ふたり揃って、頭を打って死んでしまう。  でもこんなの、嫌! 呪われた光司といっしょに果てるなんて! (せめて、目を覚ましてよ!)  綾乃の祈願であった。 (わたしはどうせ死ぬなら、本来の! ……あるべき姿の光司といっしょに死にたいのっ!!)  心からそう思った。  そのときである。  ばち、ばちばちッ……!  花火のような音と光がした。  何事(なにごと)!? 慌てて目を開くと、 (お守りが!)  綾乃が身につけていた竈門神社のお守りが、光司の胸元に触れ、火花を散らしていた。  虹色の光があたりを照らし、お守りが明滅を繰り返す。ばちばち、ばちばちと、数多の石つぶてが瓦に激しくぶつかるような音は変わらずに繰り返されている。かと思うと―― (光司!)  綾乃は澄み切った瞳で確かに見たのだ。  夫の肉体から、雨雲にも似た煙が立ち上り、逢魔が時の天空へと散華していくのを。 「綾乃ッ――」  声がした。  その調子だけで、もう分かった。  光司が、夫が、正気を取り戻したのだ! 「光司!」 「つかまれ!」  光司は空中でくるりと前転し、体勢を整えると、落下中の綾乃を抱きすくめ、その全身を両腕で持ち上げた。超人的な運動神経である。  一秒も経たぬうちに、今度こそふたりは地面に到着した。  ただし、墜落したのではない。光司は両足でしっかりと大地を踏みしめていた。  綾乃は浮いている。――細くも筋肉質の腕に、抱きかかえられるかっこうで。 「綾乃さん! だ、大丈夫ですか?」 「菊川くん。……ああ、ふたりとも大丈夫だ」 「あ、光司さん。元に戻ったんですね! 良かったぁ……」  菊川は心底、安堵の息をついていた。  根っから、光司のことを案じていたようだ。 「綾乃。怪我はねえか?」 「……うん。……ありがとう、光司」 「間一髪だったな」  光司は白い歯を見せて、腕から力を抜き、抱っこしたままの妻をそっと大地に下ろした。何十秒しか経っていないのに、ずいぶん久しぶりな気がする地上を踏みしめながら綾乃は、 「べし」  光司にチョップした。 「お、おう」 「おう、じゃないって。……あのね、最後に目を覚まして助けてくれたのはいいけれど、それまでが呪いにかかりすぎ! それでもプロフェッショナルなの!? しっかりしなさい、もう!」 「す、すまん。買い取った古い本を読んでいたら、気が遠くなって――いや、これは貴重な本だと分かっていたからさ、その……」 「言い訳しない! あのね、もし光司が呪いにかかりっぱなしだったり、山に籠りっぱなしになっていたらと思うと、わたしはね――」 「お。……心配、してくれたんだな」 「当たり前でしょ!? 光司になにかあったら、わたしはね――」  ――あの。奥さん、奥さん。 『郷土読本 中巻』が話しかけてきた。  ――ちょっとお話があるのですが、よろしいでしょうか、奥さん。 「奥さんって呼ばれ方、あんまり好きじゃないんだけど」  ――すみません、昔の本なもので。 「そうか、ずいぶん年上なんですよね。えっと、読本さんって呼ぶべきかな」 「本にさん付けしなくていいって。……それで、話ってなに?」  変に律儀な菊川を、ちょっとジト目で睨んでから、綾乃は本に目をやった。  ――旦那さんをあまり責めないでやってください。 「いや、あなたが呪ったからこんな事態になったんでしょ?」  ――はあ、それはその通りなんですが、ここに至るまでは旦那さんにも理由がありまして。 「理由ってなによ」  ――そもそも旦那さんは、自分のことを呪いの本だと分かっておりました。 「え……」  ――それなのになにゆえ、自分を買取しようとし、かつ厳重に査定をしたのか? それはですね……。 「ち、ち、ちょっと待て!」  そのとき光司が、慌てて会話に入ってきた。 「おい、読本、お前、聞いていたのか? は、話すんじゃねえぞ、あのことを。綾乃には絶対に」 「あのこと? あのことってなによ。……光司! 読本! なにかあるならちゃんと喋りなさい!」  ――ヒィ! はいです、喋ります、喋りますとも! 実はですね―― 「ま、待て、読本!!」  光司はなんとか本の口を塞ごうとして、そもそも塞ぎようがないことに気が付いて愕然とした。  読本は、秘密を暴露した。  その秘密を聞いた菊川は「ああ……」とうなずいてうめき、光司は、あっちゃーとばかりに頭を抱え、最後に綾乃はぽかんとしてから、 「……えっ……」  読本がばらした光司の話を聞いて、耳まで真っ赤になったのである――
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