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第5話(2) 永遠の時の果てに
別れないと、この異空間から出られない。
その現実を見せつけられて、綾乃と光司はお互いの顔を見合ったうえで、
「「別れません」」
即答した。
「俺たちが別れられるわけないだろう」
「ね。それに神様に言われて別れるなんて、死んでもごめんだよ」
(良い度胸だ。その強がりがいつまで持つか、見物だな)
「ま、せいぜい見物してなよ」
光司は、ニコニコ笑って、
「俺たちは別れないから。この空間から出さないっていうなら、自分たちで出る方法を探すまでだ。な、綾乃」
「そうだね。梅鈴堂の名にかけて、こんなことには屈しないから」
(いいだろう、いいだろう。ではせいぜいあがいてみるがいい。そして我に泣きつくのだ。どうかここから出してください、と……)
チモキヤの神が作り出した空間は、太宰府天満宮とまったく同じであった。
ただし、天満宮の外に出ることはできない。延寿王院の前にある鳥居まではやってくることができるが、鳥居の外には出ることができない。目に見えない、透明の壁があるのだ。
これは太宰府天満宮の他の出入り口もそうだった。
無理に外に出ようとすると、壁にぶつかる。
「なるほど。このままじゃ確かに、太宰府天満宮の中でずっと過ごすことになりそうだ」
「しかもこの霧。遠くがよく見えないね」
異空間の天満宮は霧に包まれ、人どころか動物もいない。
草木を見つめるとよく分かるが、虫さえ存在しない。蟻の子もいない、というわけだ。
「しかし、もう2時間くらいこうしてほっつき歩いているのに、腹も減らないしノドも渇かないんだな」
「たぶん時間が停まっているんだろうね。わたしたちの身体さえも」
「呼吸もしているし、心臓も動いているのにな。奇妙奇天烈ってのはこのことだ」
「そうだ、光司。だざいふえんのほうにいってみない? あっちにいけば、なにかあるかも」
「よし、行ってみるか」
綾乃たちは、進んだ。
太宰府天満宮の奥には、だざいふえんという遊園地があるのだ。
そこは子供用の遊園地で、小さなジェットコースターやゴーカートなどの遊具が揃っている。
その遊園地の向こう側には木々が立ち並び、森林が広がっている。
綾乃たちは森林までやってきて、手をそっと伸ばしたが、やはり透明の壁が立ちはだかり、指先の侵入を防いだ。
「やっぱり、こっちもだめだね」
「だざいふえんの向こうにまで壁があるなら、いよいよ、この太宰府天満宮から外に出ることは不可能みたいだな」
光司はため息をつきながら、くるりと振り向いて。
ぴたりと、動きを止めた。
「どうしたの、光司」
「綾乃。いま気付いたんだけどよ」
「なに?」
「だざいふえん。……タダで遊び放題じゃね!?」
「は!? ……え、ほんと!?」
「だって、係員さんもいねえんだもん。おい、遊べるぜ。俺たちで機械動かして、遊んでみようぜ!」
「ち、ちょっと光司。機械、動かせるの?」
「試してみたらいいんだよ。どうせ壊れてもここは異空間だし、誰にも叱られねえ。ははっ、遊び放題、遊び放題だ。金がいらないぜ、ヒャッホー!」
「金、って……」
確かに万年貧乏夫婦のふたりは、だざいふえんで遊ぶことも近頃はめったになかった。
そもそも未就学児や小学生が遊ぶような小さな遊園地なので、綾乃たちはとっくに卒業しているのだが、――だが、
「「ヒャッホオオオオオオオオオ!!」
綾乃と光司は、ゴーカートをぶっとばした。
がん、がん、がつん、がつんと車体をぶつけまくりながら、何周も何周もカートを走らせる。
「はっははは、これが大人のゴーカートだぜ。ぶつかってぶつかってぶつかりまくっちゃうぜ! 走り放題だぜぇ!」
「光司、飛ばしすぎ! わたしを先にいかせてよ!」
「やなこった、自力で抜きな! はっはっは!!」
ふたりはゴーカートだけで、5時間は遊んだ。
「……はっ」
「起きたか?」
目を覚ますと、光司が覗き込んできている。
上体を起こしてあたりを見回すと、霧に包まれている。まだ異空間にいるようだ。
あれからゴーカートで遊び疲れた綾乃と光司は、だざいふえんの隣にある食堂におもむいた。食堂には、畳が敷かれたお座敷席があるので、綾乃たちはその畳の上で遠慮無く身体を横たえ、――気が付いたら、ずいぶん眠ってしまっていた。
「何時間寝たの? わたし……」
「さあな。こっちの世界に来てからスマホの時計も動かねえし、……まあ何時間でもいいんじゃねえの? ここじゃ時間も意味をなさねえからな」
「相変わらず、お腹も減らないもんね」
「でもよ、そこの土産屋には食べ物やお菓子がいろいろあるぜ。食ってみたが、美味かった」
「食べたんだ。食いしん坊」
「美味そうだったからな。食っても食わなくてもどっちでもいいんだろうな、ここだと」
光司は、そこでいったん、ぐっと背筋を伸ばして、
「なあ、次はどうする? またゴーカートで遊ぶか? なんならだざいふえんにある、他の乗り物で遊んでもいいな。池のボートに乗ってもいい。なんだって楽しめるぜ」
「あはは、前向きでいいね。ここから出るための作戦は考えないの?」
「考えながら遊ぶ。まあ、そのうち思いつくだろう」
「それもいいね! ……というか」
綾乃は、そこでふと気が付いた。
「別に、出なくてもいいんじゃない? ここから」
「なに? ……いや、でもそうか。そうだよなあ」
綾乃と光司は、お互いを見つめ合いながら、
「光司とずっとふたりでいられるし。遊ぶものも食べるものもあるし、寝るところもあるし。年も取らないしお腹も減らないなら」
「考えようによっちゃ、不老不死だな! ずっとこの世界で暮らすか。金の心配もいらねえし!」
綾乃と光司は、どんどんふたりで舞い上がる。
もちろん、水晶たちと会えなくなるのは残念だが。
しかし、一番大事なお互いがこの世界にいるのならば、ここで永遠に暮らしていくのも悪くない! ……ふたりは結論を出した。
「よっしゃあ、決まったぜ!」
「この世界をわたしたちのお城にしよう! うんうん、決まり!」
(気に入らぬ! なんと気に入らぬことか!!)
縁切り神の声が轟いた。
(それでよいのか。おぬしたち、もっと深く絶望せよ。……永遠に愛の冷めない男女などいるものか。お互いに必ず失望し、絶望し、飽きる日がくるぞ。それなのにこの世界にとどまるのか!)
「飽きないよ。飽きるはずがない」
綾乃は断言した。
「わたしたちふたりは、子供の頃からずっと、二十年以上もこうして一緒にいるの。それでも飽きたことなんか一度もない」
「百年だろうが千年だろうが、綾乃とふたりならいつまでもいられる自信があるぜ。俺たちなら大丈夫さ」
(お、おのれ、おのれ……!)
チモキヤが歯ぎしりをしているのが分かった。
神様でも歯ぎしりをするのかと、綾乃はちょっと驚いた。
(気に入らぬ。縁が切れぬのか。何年経っても、何十年経っても、何百年――何千年、何万年経っても。……ああ、見えるぞ、永遠の時間の果てでも、この世界で夫婦として共に暮らすおぬしたちの姿が! 許せぬ、ああ、しかし――あああ、我の、我の負けだ!)
どぉん!
「あれ?」
「おやおや」
気が付いたとき、綾乃と光司は、橋の上に立っていた。
まわりには、参拝客というか観光客というか、とにかく人がたくさんだ。
「戻ってきたようだな」
「そうだね。……縁切りの神様、逃げちゃったんだ」
綾乃は、ニコニコ顔で言った。
チモキヤが最後に言った言葉が、嬉しかった。
永遠の時間の果てでも、光司と自分が、夫婦としてこの街で暮らしている。
想像するだけで、笑みがこぼれてしまう。
そう、そうよね。わたしたちならいつまでも、一緒にいられるよね、光司。
「さて、店に戻るか」
「そうね。わたしたちのお店。――梅鈴堂にね!」
(完)
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