第2話(5) 梅鈴堂指輪物語

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第2話(5) 梅鈴堂指輪物語

 ――へい、らっしゃい。  ――ほら、らっしゃい。  ――らっしゃい、らっしゃい! こちらアンティークショップ『梅鈴堂』! 掘り出し物があるかもよ! らっしゃい、らっしゃい!! いらっしゃい!!  大変うるさい。  梅鈴堂の前に置かれてある椅子、その上に立てかけられている『郷土読本 中巻』が、スピーカーのように通行人を呼びこんでいた。 「光司さん、これでいいんですか?」 「呼び込みのバイトを雇ったと思や、いいだろ。人件費もいらねえし」 「はあ、だけど道行く人たち、みんな気持ち悪がっていますよ」 「うーん、しかし呼び込み以外に任せられる仕事がないんだよな。掃除も帳簿付けも無理だし」  光司と菊川は揃って、梅鈴堂の中からバイトと化した古書をじっと眺める。  やがて菊川は、淹れられたコーヒーをひとすすりしたのだが、  ――へい、へい、ご主人様。  ――自分にもコーヒーをおくれでないですか? お給料がなくても飲み物くらいは。 「本のくせにコーヒー欲しがってんじゃねえよ!」 「どこに口があるんでしょうね。それと舌とか胃袋も」 「菊川くんも、まともに考察しようとしなくていいってばよ」  光司は嘆息と共に、コーヒーカップを口につけたが、――やがて、 「おーい、綾乃ー」  奥にいる妻に、声をかけた。 「綾乃もコーヒー飲もうぜ。一晩経ったし、もういいだろ」 「…………やだ。……わたし、寝る……」 「もう昼だぜ。いいかげん、出てこいよ」 「恥ずかしくて出られない。表を歩けない」 「気にしすぎなんだよ。俺はもうなんでもないぜ?」  光司は肩をすくめた。 「呪いの『郷土読本 中巻』を買い取ろうとした理由は、綾乃への指輪代を稼ぐためだなんて、冷静になってみりゃそんなに恥ずかしい話でもない――」 「それをあなたが大きな声で言うのが恥ずかしいの! わたしは! 分かる!?」  綾乃はついに、店舗に登場した。 「あ、綾乃さん、おはようございます」  ――へい、奥さん、おはようござい。 「だから奥さんって言うのやめてよ。なんかゾクゾクするから。――あのね、光司、あの、指輪を買おうとしてくれたことはね、あのね――~~~~……」  綾乃はそれ以上、言葉が紡げなかった。  その話を読本から聞かされたときの恥ずかしさ。  それと、言葉にできない嬉しさ。――光司は自分のために、無理をしてくれたのか。  ただ。  それはそれとして。 「人前で指輪の話をするのはやめて! 菊川くんに恥ずかしいから!」 「別にいいだろ、夫婦なんだから。なんでそんなに照れてるんだよ」 「照れるでしょ! あのね、あのね、昔からいままでずっと言ってるけど、人前では、本っ当に、自重しなさいっ!」 「あの、綾乃さん、僕は気にしてないですから、続けてください」 「だってよ、綾乃」 「菊川くんはありがと。……だけど光司! あなたいい加減にしないと、わたし本気で怒るよ!?」  ――うーん、喧嘩するほど仲がいいとはこのことかな、はっはっは……。 「あなた本当に焼き捨てるよ!?」  綾乃は読本へ激怒を向けたが、――なんとなく迫力不足なことを自覚していた。  自分の胸元で揺れる竈門神社のおまもりの存在を感じるせいだ。あのとき、読本の呪いを打ち破るために輝いてくれたえんむすびの光。ふたりの間にできた壁を突き破るかのような熱量の記憶と、光司が指輪を買おうとしてくれていた事実が、どうしても綾乃の憤怒を抑え込み、心の中に温かいものを生み出してしまう。 「ま、今回はうまくいかなかったけれどよ、近いうちに本当に、指輪買うからさ。約束すっから」  そう言って、光司は空っぽになったコーヒーカップを持って、家屋部分のキッチンへ向かう。  夫の大きな背中を見送りながら、綾乃はそのときぽつりとつぶやいた。 「……まだしばらく、お守りだけでもいいんだよ?」  胸元に輝く、小さな約束の証を手に取り、誰にも見えないところで(ささや)く。  ほんのりとした熱を、まだ指先に確かに感じた。 『まだ、指輪は買えねえけど、竈門神社のお守り。えんむすびのやつなんだけど、いまはこいつで勘弁してくれねえか』 『は、はい。――よ、よろしくお願い、します』  いまだに一字一句間違えずに思い出せる、七年前の記憶。  あのときの思い出はなお、自分たちの中に息吹いている。  だからこそあのとき、えんむすびのお守りはふたりを助けてくれたのだ。 「光司。……コーヒー、いただくね!」  台所に向かって声をかけると、おーう、と楽しそうな声がかえってきた。  開きっぱなしの風が、店内に青空の匂いを運び込んでくる。――らっしゃいらっしゃい、梅鈴堂、今日も絶好開店中――べらんめえな読本の呼び込み声と共に、今日も数多の鈴の音が耳に飛び込んできた。
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