第1話(2) 謎が謎呼ぶ、つくし歌壇

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第1話(2) 謎が謎呼ぶ、つくし歌壇

「へーっ。ここが事件解決のために必要な場所なんですか? 綾乃さん、光司さん」  菊川は、打ち解けるのが早い性格らしい。 『必要な場所』に向かって、太宰府市のコミュニティバスで移動すること約15分。  そのわずかな間に、菊川は綾乃たちに対して、ずいぶんと親しげな口を利くようになった。  まるで中学の部活動の後輩のように――それもまだ学校慣れしていない中学1年生が、2年生や3年生にざっくばらんな話し方をするように、彼はポンポンまくし立ててくる。それでもあまり失礼に感じないのは、子犬のような、どこか憎めない愛嬌が彼にあるからだろう。  光司のほうも、菊川を、もはや弟のように感じだしたのか、 「綾乃が事件解決に必要だって言うなら、間違いなくそうだぜ、菊川くん」  すでに菊川を、くん付けで呼ぶようになっていた。  菊川自身も、その呼ばれ方が嬉しいらしい。仲間として認められたと思ったのか、宝石のようにキラキラした瞳を光司へと向けて、 「光司さんの、綾乃さんへの信頼、カッコいいですね! いかにもパートナー同士! って感じです!」  僕もその中に入りたいです、と言わんばかりの食いつきぶりだった。 (若いひとって、誰かと仲間同士になりたいのね)  綾乃は内心思ったが、 (って、そんなに菊川くんと年が離れてるわけじゃないんだけど。同じ20代よ、20代っ)  まだ自分だって現役の若者のはずだ。  結婚をしているとはいえ。――そりゃ確かに、行動ひとつひとつがなんとなく守りに入った気はするけれどね。服を買うときに家計のことを考えちゃったりするし。水道代とか電気代がいつも気になるし。スマホのアプリはクーポン系が増えてきたし……。あう、あう。  ――なんとなくはしゃいでいる20代の3人だったが、事件を忘れたわけではなかった。  いま、綾乃たちがいるのは、太宰府市内にある石碑の前だ。碑には、文章が刻まれている。 『しらぬひ 筑紫の綿は 身につけて いまだは着ねど 暖かに見ゆ』 「これ、万葉集の歌が刻まれている石碑なの。『万葉集つくし歌壇』っていうんだけど、太宰府市のあちこちに置かれているの」 「万葉集の中には、約4500首の歌があるが、そのうちの200首くらいが太宰府で歌われた歌なんだ。その200首のうちの一部を、石碑に刻んで、こうして市内のあちこちに置いているんだよ」  光司が、綾乃に続けて解説した。  綾乃ほどではないが、夫もそれなりに古典や日本史、太宰府に関する知識を有しているのだ。 「石碑に歌を刻むことで、文学をこの世に残したり、あるいは観光収入に繋げるわけね」 「こんな石碑、あったんですね。太宰府生まれですけれど、まったく知りませんでした」  菊川は、少し恥ずかしそうにうつむいている。 「……でもこの石碑が、今回の事件と、どう関係があるんです?」 「ん。ちょっとばかり気になるところがあってね。――ね、菊川くんが持ってきた万葉集の写本、このページを見てちょうだい」 『しらぬひか 筑紫の綿は 身につけて いまだは着ねど 暖かに見ゆ』 「はぁ、見ました。これがなにか……?」 「うん、それでもう一度、この石碑に目をやって」 『しらぬひ 筑紫の綿は 身につけて いまだは着ねど 暖かに見ゆ』 「……あっ! ち、違う。文章の一部が、違う!?」  確かに『しらぬひ』の部分が違っていた。  石碑では『しらぬひ』となっているのに、菊川の本では『しらぬひか』になっている。  か、が多い。 「ど、どういうことです、これは」 「石碑が間違っているのは考えにくいぜ。この写本に歌を書き写したやつが、ミスったってことなんだろうが」 「そうとは言い切れないよ、光司。こんな写本を作るようなひとが、一文字とはいえ、歌の書き写しをしくじったりするかな? ――それでね、もうひとつ言うと、この写本の中の歌は他にも違いがたくさんあるの」  そう言って、綾乃は歩き出した。  光司と菊川も、彼女に続く。  やがて、また新たな石碑が登場した。  太宰府市内には、本当に万葉集の歌碑がたくさん建てられている。 「見て。この石碑には、 『春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや はる日暮さむ』  って和歌が刻まれている。  だけれどこの写本には、 『春されて まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや はる日暮さむ』 って書かれてあるの」 「写本のミスは――いやミスとは断言できないかもしれねえけど――写本の中の万葉集和歌と、石碑の万葉集和歌と違いがあるのは、これで2例目か。……3例目や4例目もあるのか?」 「わたしの記憶の中にある万葉集の歌と、この写本の中にある歌は、少なくとも29箇所の違いがあるの。それもすべて、1文字だけ違うのよね」  綾乃のことばに、光司と菊川は目を見合わせた。  実際の万葉集の和歌と、菊川が持ってきた写本の中の和歌――  なぜ29箇所も違いがあるのだろう。それもすべて、1文字だけ……? 「たった1文字の歌の違いだけど、その違いが、きっと今回の事件に関係していると思うの。菊川くんが見た女性の幽霊も、おそらくそこをなにか訴えたいのよ」 「綾乃さん、光司さん。僕の推理なんですが」  菊川がおずおずと手を挙げた。 「女幽霊は、和歌の書き写しのミスが悲しくて泣いてるんじゃないですかね? だから写本の中にあるこの和歌を修正したら、お化けは出なくなるんじゃないですか?」 「だけどよ、菊川くん。女の幽霊は夢の中で『はかま』って言っているんだろ? 『和歌』とか『万葉集』じゃなくて『はかま』。和歌の修正をお望みなら、なんだって『はかま』なんて単語が出てくるんだ?」 「そ、それは……なぜでしょう?」  光司の指摘に、菊川は押し黙った。  彼は、顔を赤くする。 「ご、ごめんなさい。僕、素人なのに出しゃばったことを言って」 「ああ、いや……。悪いな、俺だって答えが出ているわけじゃないんだ。菊川くんの意見のほうが正しいのかもしれねえよ。ただ、『はかま』ってところがどうしても気になるんだ。はかま、はかま、はかま。――チッ、その女も、言いたいことがあるならはっきり言えばいいのにな」  もどかしいぜ、とばかりに光司は舌打ちした。  綾乃の旦那様は、頭が悪いのではないが、頭脳プレイよりは肉体行動で仕事の結果を出していくタイプである。主張も単純明快にすることを好む。遠まわしな言い方や回りくどいセリフにはイライラしてくる性質(タチ)なのだ。 「幽霊とかあやかしって、そんなものじゃない。いまさら怒ったりしないでよ」  綾乃は微笑と共に、夫をたしなめた。  元より、快活な性格の幽霊やあやかしはあまりいない。  そもそも、そんな竹を割ったような性格だったら、最初から化けて出てきたり、現世に迷惑をかけたりしないよねと綾乃は常々思っている。 「なんにせよ、現状じゃここから先は分からねえな」 「そうね。わたしたちが、実際にその幽霊に会ってみないと」  綾乃はうつむいて、考え込んだ。  長い黒髪が垂れてきた。指先でさっと上げて、風に任せた。 「ねえ、菊川くん。この写本、何日か預かっていいかな? わたしが夢の中で、その幽霊と会ってみるから」 「は、はい。そうしてくれたらありがたい限りです。だけど大丈夫ですか?」 「これでもプロよ。古物の扱いにはちゃんと慣れているから安心して。県の公安委員会に認可だってもらっているんだから」 「はあ、いや、そういう意味ではなくて。……綾乃さんが女幽霊に取り憑かれたりしたら、僕、申し訳ないなって」  やっぱりおどおどしながら、菊川は言った。  綾乃は彼を安心させるべく、とびっきりの笑顔を作って、 「心配してくれてありがとう。だけどそっちの意味でも大丈夫よ。こっちはこれでもベテランですから。ね、光司?」 「ああ、俺たちに任せとけって。バッチリ解決してやるからさ」  光司の声音は、妻の目から見ても頼もしげであったが――  菊川はなお不安げに、綾乃と光司の顔を交互に見つめてきた。  それでも最後は「お願いします」とだけ告げて、万葉集の写本を、梅鈴堂の若夫婦に託してきたのである。  その夜。  店舗部分に隣接している夫婦の寝室にて。  いつものように大きめの、ダブルの布団を敷いてから、綾乃と光司は午後11時には就寝した。  枕元には、例の万葉集写本を置いている。  これで女幽霊は自分たちの夢枕に立つはずだと確信して、綾乃は眠りの世界に落ちていったが――  しくしく、しくしく。  しくしく、しくしく。  綾乃はハッと気が付いた。  上体を起こすと、目の前2メートルの位置で、髪の長い女性が座り込んで泣いている。 「現れたわね、幽霊」  綾乃は油断なく、周囲に目を配らせながら、彼女に一歩、近づいた。
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