3 それでも日常は続いてく

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3 それでも日常は続いてく

 朝起きて、まず浮いてみる。 「……夢じゃない」  夢だけど、夢じゃなかったー!!  きゃーっ! とあの姉妹のようにベッドではしゃいでいると、 「おい、メシ」    ジジの不機嫌な声がかかる。  おぬし、どこのぼんくら亭主だよ! 「えー、今日もこれー? やなんだけど、飽きたんだけど」 「文句を言わずに食え!」 「缶詰がいい。あんだろ、戸棚の一番奥」 「なぜそれを……っ」 「ママぁ、のどかわいた」 「おー、よちよちごめんよ。ほら、これで飲めるかな?」  醤油皿に浅く水を注いだものをあげる。お皿は当然持ちあがらないので、犬のように舐めるしかない。いくらミニサイズとはいえ人間っぽい見た目でこれはきついな。  そうだ、シルバニアファミリーの大きなお家を買ってこよう。あれなら小さい食器・家具・服もついてるし、たぶんちょうどいいはず。 「缶詰~」 「わーったよ! 1缶500円の高級缶詰。もってけドロボー!」  兄ちゃん。なんか私、わかった気がする。子どもがいるお家の朝って大変なんだね。  ある日突然魔法の力に目覚めたとしても、日常は続いていくのでおろそかにできない。ていうか現実問題、働かないと食っていけないので、魔女になった! 仕事辞める! ひゃほーい! なんてできないわけよ。    自転車を疾走させて15分。青葉清涼高校が私の職場だ。  8時10分。あと5分で朝の職員会議が始まる。今日はちょっと遅刻ぎみだ。  7時半から朝課外がある進学コースの担当だったらアウトだったけど、今年の私の担当は課外なしの普通コースなので問題ナッシング。 「森山先生。おはようございます」    デスクに着いてすぐに聞こえたこの爽やかボイスは……! 「中村先生。お、おはようございます」    英語の中村敏明(としあき)先生。  白い歯が今日もまぶしい!  同期なのにいまだに敬語。誰にだって、生徒にでも。それがまたポイント高いのよね。  ジョン・コナー風の髪型も、少しアンニュイな服装も、ぜんぶ好み。 「あれ、お疲れですか?」 「へ?」 「目の下が……」 「うそ、クマできてます!?」 「よかったらこれどうぞ。まだ口つけてないので」  手渡されたのは香しい湯気の立つマグカップ。  こ、ここここれ、中村先生のマグカップでは!?  か、間接キッス!! 「その年で中学生みたいな反応すなや」  そのだみ声は、周囲には「ニャーゴ」としか聞こえない。 「あれ、なんでこんなところに猫がいるんだろう。迷い込んできちゃったのかな?」 「あ、あははっ、ほんとですね~! 可哀想に~! 私、逃がしてきます!!!」 「でも、もう職員会議始まりますよ。それに───」 「すぐなんで!」  ▪▪  ▪▪▪ 「あ・ん・た! なんでここにいんのよ!」  校舎の裏庭で、ジジは優雅に毛づくろいをした。 「ちょっと考えればわかるだろ」 「かばんか」 「そゆこと」 「どうすんのよ~、あんたひとりで帰れる?」 「ひとりじゃない」 「まさか」 「ママ~!」  顔面ダイブしてくるピンクの影は、 「ピンキーちゃん!」  キャッキャウフフの劇的再会。たった半時ぶりだけど。  あら、シルバニアの服肩からズレ落ちてるね。やつらでぶっちょだからな。スレンダーなピンキーちゃんにはちょっと大きいか。どうするかな。 「言っとくけど、俺たち帰れないよ」 「なんで」 「生まれたての俺たちは主人の半径1キロ以内を離れられないんだぜ」 「あ」  そういえば、『魔女のすゝめ』にそんなこと書かれてたような……  家から学校までは3キロ。ついてこざるをえないわけだな。 「しかたない。どっか隠れて待ってられる? お昼にまた様子見にくるから」 「まじで! 遊びに行っていいのかよ!」 「どうせ1キロ以内をうろちょろするつもりでしょ」 「っしゃー!」  まぁ、金色のおめめぴかぴかさせちゃって。 「でも大丈夫? ジジ、お外初めてでしょ」 「は? 何回も出てるけど」 「は?」 「あ……やべ。じゃーな!」 「こら、ジジ!」  あーあ。行っちゃった。ていうか、ちゃんと毎日戸締りして出てんだけど。どうやって鍵開けてんだ、あいつ。  そういえばピンキーちゃんは? ……ジジといっしょに旅に出たか。  チャイムが鳴る。やばい、職員会議!!  右よし、左ヨシ、上よし。うむ、ここは魔法の力を使わせていただきますか。 「飛べ!」  ……あ、今回もほうき不在じゃん。  階段を2階まで上がって廊下の突き当たり。普通コース3年1組が、私の受け持ちクラスだ。1限が公民なので朝礼後はそのまま私の授業となる。いつものように挨拶を交わし、連絡事項を伝達し、日直さんに日誌を渡し、チャイムが鳴ったらはい授業。    カリカリ、31人分のシャーペンの音がする。みんな真面目だねー。高校3年生のみんなは『将来の夢・魔女・魔法使い』の時期はもうとっくに通りすぎているのだろう。それが健全といえるのか、私にはわからないけど。 「きゃー!!」  教室に悲鳴が響き渡ったのは、授業開始から十分ほど経ってからだった。 私ははじかれるようにして、黒板に向けていた視線を体ごと生徒の方へ向けた。 「どうしたの、青木さん」 「む、むし、天井にでかい虫が……!」 「虫?」  青木さんの、ちょうど上の方。天井を見上げる。  あー、あれはトンボかな?  ……ん? ていうか、あの羽。見覚えが……うそだろ、おい。  君、ジジといっしょに旅だったんじゃないんですかー!! 「ピンキーちゃん!!」 「ぴんきー?」 「ぴんきー?」  私の絶叫に、「なんだ、トンボじゃん」と斜に構えていた生徒たちまでざわめきだす。 「いやっ、あの、あのトンボはねっ、ピンキーリングイネっていう珍しーいトンボでねっ」  く、苦しい。なんだよ、ピンキーリングイネって。パスタかよ! 「先生、俺がほうきで……」 「ぎゃーっ!! やめてやめて!!」    へたに扱ってピンキーちゃんが潰れたらどうするの!! 「私、ちょっと職員室に虫とり網取りに行ってくるから……! なんにもせず待っててね。絶対触っちゃだめだからー!!」  私は走って教室を出た。するとそれを見計らうようにトンボも羽ばたく。わずかに上がる悲鳴を縫って、トンボ改めピンキーちゃんが廊下を疾走する私の胸にダイブした。 「ピンキーちゃん! あぶないよ、人に見られたらどうするの!」  あ、妖精だ~! 捕獲!  →高値で取引→研究所に送致→ホルマリン漬け→研究。ぞっ。 「なんでジジについていかなかったの?」 「ママといっしょにいたかったの……」  うっ……ピンクの目で涙ぐまないでくれ。ほだされまくるだろう!! 「それに、じじたんが『お前は足手まといだ』って」 「あいつめ。なぜ妹分を可愛がれん」    ピンキーちゃんは怒られたと思って手の中で震えてる。どうするか。 「とりあえず、お昼までここに隠れておける?」 「うん!」  私はピンキーちゃんのミニチュアな体を胸ポケットにしのばせた。  ひょんなことで潰してしまわないかひやひやだ。チョークや教科書を扱うときは特に注意しよう。  そしてお昼。  旅の途中で可愛い女の子との出会いでもあったのか、ジジはほくほく顔で中庭に帰還した。  私の怒り顔を見て「げ」と足を止める。 「逃げようたってそうはいきませーん。眷属は命令に絶対服従なのでーす。〝座れ〟」  まるで十倍の重力に引かれるように、ジジは地面に尻を付ける。 「だってそいつ飛ぶの遅いんだもん」 「だからって妹分を置いて行っていい理由にはならないでしょ。ピンキーちゃん、あやうくほうきで退治されそうになったのよ!」 「そうカリカリすんなよ。シワ増えるぞ」 「なっ」  こいつ、調子に乗りおって……!  高級缶詰の恩を忘れたのか? 「真面目な話、『拠点』候補を見つけてきてやったんだからさ、そんな怒んなって」 「拠点、候補?」 〝四、拠点をつくろう! 誰にも見つからない場所で魔法の練習を!〟  ジジの話では、自宅と学校の中間地点にある小さめの山の奥地に、打ち捨てられた山小屋があるらしい。そこを拠点にしたらどうかという話だった。 「なんだ、ジジ。可愛い女の子見つけて喜んでただけじゃないのね」 「ちっげーし!」 「でもさー、その山も小屋も誰かの所有物じゃん。勝手に使ってたら不法侵入で逮捕されちゃうよ」 「心配すんな。そうはならねえから」 「どういうこと?」 「あの土地と山小屋持ってる爺さんな、5年前に行方不明になってるらしい。んで、唯一の身内の娘は海外に行っちまって、あの山は放置されてるってわけ。使ったってバレやしない。万一バレても、娘のふりすりゃいいはなしだろ」 「あんたって……わるだねぇ」 「まあな」  ひげひくひくさせて、それ猫にとってのどや顔なんだろうなぁ。 「ところで、なんでそんな詳しいこと知ってんの?」 「あの山に住んでるカラスに聞いた」 「あんたカラスと話せんの!」 「ったりめーだろ。猫とカラスは何百年も前から協力関係にあんだよ」 「へぇ」  意外なところで意外な話を聞いた。私が魔女になってジジと会話できるようにならなきゃ、一生知らないままだったんだろうな、そんなコアな情報。 「おし、じゃあ放課後そこに行ってみますか。あ、買い物もあるから、そのあとね」  私は原っぱにつけてたお尻を払って立ち上がった。げ、染みついちゃってるし。エモダのパンツ高かったのに~! くさっ。土くさっ。 「お弁当はこのまま置いてくから、ゆっくり食べてね。ジジ、ピンキーちゃんのことちゃんと守るのよ」 「げぇー」  おにぎりを抱きかかえながらもぐもぐかぶりつくピンキーちゃんとしかめっ面のジジを残して、私は校舎に走った。あと5分で授業がはじまる。なんだか昨日から、急いでばかりだな。停滞してた時間が急速に動き出した感じ。これからもっと忙しくなりどうだけど、先行きは明るい。  おら、わくわくすっぞ!
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