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ミハイルside 16~宣戦布告~
「お前は、何をそんなに怒ってるんだ?」
ラウルはずっと眉をつり上げたままの私に溜め息混じりに言った。
私は彼を部屋に引き摺り戻し、ラウルの目の前で、崔の送りつけてきたアオザイを暖炉に投げ込み、金糸で描かれた龍がのたうち回り、灰になるまで、火掻き棒を何度も突き立てた。
「単なる嫌がらせだろう?崔の奴、俺を女だと勘違いしてやがるから.....」
ラウルは半ば呆れたような目付きで狂人の如く燃えていく布に火掻き棒を突き刺す私を見ていた。わかっていない。彼は何もわかっていないのだ。崔の執念深さも私の危惧も....自分がどれだけ人を魅了する存在なのか全くわかっていないのだ。
「お前は何もわかっていない!」
「何も.....ってなんの事だ?」
「あの野郎が送り付けてきたアオザイは、婚礼衣装だ。あいつは本気でお前を奪い取る気だ。こんなものを受け取るんじゃない!」
ラウルは仕立屋に言って送り返せばいいなどと悠長なことを言っていたが、その仕立屋が殺されたことを告げるとさすがに顔色を変えた。
「これは奴の私に対する宣戦布告だ」
ギリギリと唇を噛んで私は言い捨てた。そして尚も呑気な彼に、仕方なく不幸な事実を告げた。
「そうじゃない.....奴は知ってる」
「知ってるって何をだ?」
「.........周が殺られた」
「えっ?」
彼は言葉を失った。
彼のファミリーのボスの座を継いだ男、高瀬諒の仇討ちの折に手を貸した周が非業の死を遂げたことを伝えた。
そして、ライバルの組織の頭、江も薬物の過剰摂取で死んでおり、崔が香港のマフィアを片端から潰しにかかってる事実を伝えた。.....周がひどい拷問を受け、その映像がファミリーの連中に送り付けてきていたことも...。
「それじゃ......」
「私と手を切れば生かしてやると言われたそうだが......ボスをなぶり殺しにされて、すっかり怯えきってた」
私の言葉に彼もさすがに絶句した。
彼のファミリーの者達が崔の傘下に入るのを拒否して、殲滅されたこと、それ以前に配下だったはずの江の子分達も皆殺しにされていることも話した。
「だが、なんで急にそんな......」
彼が震える声で訊いた。
「本土の統制が強化された。香港も完全に本国の統制下に組み込むために、人民政府に雇われたらしい.......それと」
「それと?」
「周の拷問の映像の中で、しきりにお前の事を問い詰めていた。名前や何処の出身かを....」
それはラウルと私にとって、最も忌むべき事実だった。
「だから、ヤツは、崔はお前が女では無いことを知っている。その上で、周に言っていた。『女神を奪還する』....と」
「なんでそう頭が沸いてんだ、お前らは...! 俺は女神だの天女だのじゃねぇ、普通の男だ」
身を震わせて憤慨する彼を、有らん限りの力で抱きしめた。
「ラウル.....それは無理だ。お前は美し過ぎて魅力的過ぎる.....あの青年の魂が入っていた頃とは雲泥の差だ」
意味がわからない....という表情で彼が私を上目遣いで睨んだ。彼にとっては女性的な容姿というのは、自己嫌悪にしかならない。それはわかっているが、彼に魅了された者達は、それとは全く別な思いを抱いている。
「ミハイル.....お前のせいだぞ」
彼が口を尖らせて言った。
「お前がややこしい真似をするから.....」
言いかけて彼は最も危惧すべき事に気づいた。
「俺の素性はバレていないんだろうな?!.....俺がラウルだってことは......」
「大丈夫だ。......秘密を知る者はいない。ニコライだけだ」
私は他の者に聞こえないよう小声で囁き、彼は小さく頷いた。あの道士と弟子達を早々に始末しておいたのは正解だった。あのような人智に叛くような術を成し得る者は、もはや香港にも何処にもいない。あれは私のために神が只一度だけ許された『奇跡』なのだ。
「私は絶対にお前をあいつに渡しはしない......。何があっても......」
掠れた声で呟く私の頬に彼の手が触れた。彼の唇が私の最も求める言葉を囁いた。
「ミーシャ、大丈夫だ。俺はお前だけのものだ」
私は涙で視界がぼやける前に彼に口付け、突き上げる思いを押さえきれず、彼をベッドに運び、その肢体を貪った。
ラウルには決して洩らすわけにはいかないが、崔は周の拷問-虐殺の様を撮影した画像を私にも送りつけてきていた。無惨にそれとは判らぬほどに痛めつけられ、こと切れた周の死体を踏みつけて、奴はカメラに向かって狂気に満ちた笑みを浮かべていた。
『次はお前だ、レヴァント。......覚悟しておきたまえ』
地獄の底から響くような哄笑が画面を覆い、画像は途切れた。
だが、私は敗けはしない。私には観音菩薩がいる。私の菩薩、私の天女を是が非でも守らねばならない。この生命に替えても....。
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