ミハイルside 17~死神の出現~

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ミハイルside 17~死神の出現~

 あのパーティーがあったのは、その数週間後だった。主催はある政府の高官で義理でも顔を出さねばならない。崔のあのアクションがあった後だけにひどく不吉な予感がしていた。 「気乗りはしないが、顔を出すだけだ」  渋る彼をなだめ、スワロフスキーを散り填めた白の細身のドレスを着せた。スタンドカラーで露出の少ない、極薄の防弾チョッキ入りだ。 白鳥が舞い降りたかのような美しさだ。が、万一のためにPPSも刀子もしっかり仕込ませた。しかし問題はそこでは無かった。  モスクワの一流ホテルの庭園を貸し切りにしたガーデンパーティーで、さりげなくニコライやタニア、邑妹(ユイメイ)もガードに紛れ込ませたにも拘らず、あの男が入り込んでいたのだ。 「ミーシャ.....あいつがいる」  ラウルはいち早くそれを見つけ、震える声で私に耳打ちした。私も無言で頷いた。  あいつは、崔伯嶺は我々を見つけると着飾った賓客の間を幽霊がすり抜けるようにこちらに近寄ってきた。緊張が走った。 「ご機嫌よう、レディ。私の贈り物は気に入っていただけましたかな?」  崔はあの凍りつくような笑みを浮かべて、私と彼を見据えた。彼は一瞬、硬直していたが、側に私がいることを確かめ、息を整えて睨み返していた。気丈さはさすがだ。彼は一言返した。 「悪いが、俺の趣味じゃない」 「これは失礼.....。お気に召しませんでしたか」  崔は首を少し歪めて、だが不気味な笑みを崩さずに言った。 「レディにはドレスよりチョコレートのほうがよろしかったかな?.......今度はベルギーの最高品質のものを用意させましょう」  今度は私が、彼を後ろに庇って言った。 「毒入りのチョコレートなんぞ、いらん。私のパピィに許可なく物を贈りつけるのは止めていただきたい」  不快極まりない私達の様子を見て、崔は楽しそうに笑った。 「これは失敬。レヴァント氏は随分とレディにご執心なようだ。.....だが、私はこちらのレディのためにとっておきのプレゼントを用意させていただいているのだがね?」 「とっておきのプレゼントだと?」  私ははっ....とした。彼の瞳が何かを伝えるように私を見上げる。 「特大の宝石箱.....百万ドルの夜景を貴方に差し上げたいと思っているのですよ」 「随分と陳腐な口説き文句だな」  私が揶揄するように言うと、崔はふっ.....と鼻で笑った。 「私はその辺のジゴロではない。レディ、あなたの故郷はとても『キレイ』になりましたよ。虫ケラどもはすべて退治した。女神が降臨するのに相応しい街になりました。私と共においでになれば、あなたを香港島の女王にして差し上げます」 「なっ.....」  思わず、崔に掴みかかりそうになる彼の手を強く握って、制した。ここで暴力沙汰を起こすわけにはいかないし、崔の挑発に動揺した姿を見せてはならない。彼はその意を察したのか、ぐっと拳を握りしめ、耐えていた。その掌から血が滲むほどに.....。  私は全身の血が沸騰する程の怒りを覚えた。ラウルが苦しそうな表情を見せ始めた。早く崔を追い払わねばならない。 「生憎とウチのパピィは蛇が嫌いでね。蛇の巣窟になど遣るわけにはいかない」 「それは残念。......だが、蛇はその辺の獣よりも賢く魅力なんですがね」  どこまでも絡みつくような崔の台詞にラウルが気力をふりしぼって反駁した。 「体温のない動物は嫌いだ。それに俺はレディなんかじゃない」  崔はニタリと笑って、ラウルを揶揄するように嘯いた。 「私は気にしませんよ。タイの辺りではそういう技術も進んでいる。レディ、あなたなら間違いなくNo 1になれる」 「死んでもゴメンだ!」  彼はもう限界だった。脂汗が形の良い額を伝って流れ始めた。 「ミーシャ....」  見上げる彼の肩をしっかりと抱いて、私崔に言い放った。 「パピィは気分が悪いようだ。以前にも言ったが、パピィは繊細なんだ。近寄らないでいただきたい」  極力、声音を抑えはしたが、私の怒りは頂点に達していた。崔は肩を竦めて立ち去り、ほっとする間もなく、彼は私の腕の中に倒れて気を失った。私は急いで彼を抱き上げ、ホテルの部屋に運んだ。 「大丈夫か?」  しばらくして目を覚ました彼は、覗き込む私に微かに微笑み、身体を起こして辺りを見回した。 「ここは?」 「ホテルの部屋だ。辛いなら今日は泊まろう」  私は彼に無理をさせたくはなかった。だが、彼は静かに首を振った。 「大丈夫.....。うちへ.....帰ろう」  私は一瞬耳を疑った。ラウルが私の屋敷を自分の『家』と言ったのだ。私は感激にうち震えながら、彼を抱きしめた。彼は私の腕の中に身を預け、声を潜めて呟いた。 「思い出したんだ.....あいつだ。あいつが、父さんを殺した」    私はゆっくり頷いた。彼がやっと打ち明けてくれたのだ。私達の、私と彼の長い不安な夜がやっと明けたのだ。私は何度も彼の頭を撫でた。
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