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ミハイルside 26~決意~
仄昏い暖炉の灯りにうっすらとシルエットが浮かび上がる。ひとしきり抱き合った後、彼はこっそりと半身を起こし、しきりに何かを考えているようだった。
昼間、一時ピアスの集音が途絶えた。内緒でイリーシャから何かを聞き出していたであろうことは察しがつく。が、イリーシャは僅かに苦笑いして、『プライベートなことだ。心配はいらない』としか言わなかった。
私は眠った振りをして、耳を傍立てた。薪のはぜる音に混じって微かな呟きが耳に触れた。
「愛してる.....んだろうな」
そして、彼は大きな溜め息をついて、背中を向けてシーツにくるまった。
私は背後からそっと彼を抱きしめた。
「なんだよ、起きてたのか.....」
つとめて平静な素振りで振り返る彼の頬が微かに赤い。少し声も上擦っている。照れているのか、もそもそとシーツの中に隠れようとする。
「今、目が覚めた」
私は見え透いた嘘を彼の耳許に囁きかけた。
「甘い囁きが聞こえたもんでな...」
「なんだそれ.....?!」
逃れようとする彼を羽交い締め、彼の耳を軽く噛んだ。
「ラウル.....愛してる。私の全てを賭けて、お前を守る......」
崔との『戦争』は既に始まっている。が、それをラウルに気取られてはならない。私はニコライにも他のスタッフにも厳重に命じた。
「存じております」
ニコライは、眼鏡のブリッジを指先で軽く押さえて言った。
「ラウルさんは血の気が多いですからね.....。ボスがスナイパーに狙われたなどと知ったら、ロケットランチャーでも担ぎかねませんからね。ただ......」
「ただ?」
「後で怒りませんかね、いや、私達が怒られるぶんには良いんですが.....」
崔のスナイパーはファミリーのスナイパーに逆に狙撃されてビルから転落死した。
レヴァント本社にヘリが突っ込まれそうになった時には肝を冷やしたが、空軍の戦闘機が撃墜してくれた。ーそもそもサンクトペテルブルクは警戒空域だ。自由主義諸国とは異なり、国籍不明の不審な飛行物体など、即座に撃墜されて当然だ。
本社ビルも支社も全て警戒レベルを5に引き上げている。毎日の不審な人や物のチェックは平素以上に入念に行い、赤外線レーザーのシールドも強化している。
ニコライのチームはハッキングのチェックをいつも以上に厳しく行い、タニアは各支社の職員の動向をその子女に至るまで報告を上げさせている。
シンガポールを初めアジアの支社は特に警戒をさせている。内通の疑いのある者は、始末を完璧にさせ、内部からの組織の揺さぶりは完全に防いだ。取引きのある政治家やそれに類する存在について、崔の顧客や後ろ楯だった者達は、諜報局のエージェントが情報を収集、闇に葬っている。
ロシアという国家にとっても、中国の人民政府の増長はあまり好ましくはない。崔が手を貸している裏側のあれこれは、諜報局が『運動家』を使ってネットやメディアにリークさせた。国家は我々を使って都合の悪い存在を消してきた経緯もあるし、崔のようなアンダーグラウンドな稼業を主としている存在との癒着が表に出るのは都合の良いことでは無いからだ。
それ以上に、国や各国政府、財界の本音を明かせば、
『崔の時代は終わった』
というある政府高官の一言に尽きるだろう。
東西冷戦の時代が終わり、大国の駒であったアルカイダのようなテロリスト達がその主であった大国に牙を剥いてくる。途上国の苦悩を権力の拡大のために利用し、自由と独立、安寧を餌に夢を抱く若者達を使い捨ててきた。
絶対的支配を築き上げてきた者達にとって利用価値の無くなった者は安泰を妨げる要因として、情け容赦なく取り除かれる『障害』でしかないのだ。
既に高齢なはずの崔には、残念なことに『後継者』はおらず、シンジケートの秩序は既に崩壊しつつある。
ーレヴァントは......ー
ミハイルの代に企業体であることを選択した。極めてシステマティックな構造を持つ複合企業体として、コンプライアンスも厳しく制定してある。その裏側のマフィアとしての顔は、レヴァント-ホールディングスが世界の中枢に君臨するまでの足掛かりに過ぎない。
ー私をもって、裏社会からは離脱するー
それは跡目を継いだ時に密かに決めたことだ。企業体の後継者は必要だが、才能ある者を登用すればいい。もしくは.....
ーラウルには息子がいたな....ー
ラウルの息子は、すなわち私の息子だ。後継者の養成は不可能ではない。
そのためにも....。
ー守らねばならないー
ラウルを、レヴァント-ファミリーを、奴の手から守る、守り抜く。この命に替えても....。
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