ミハイルside 29~予期せぬ事態~

1/1
前へ
/130ページ
次へ

ミハイルside 29~予期せぬ事態~

 私にとって最も恥ずべき油断だった。  冬の間、崔の動きが沈静化していたこともあり、私は西側で私の父と懇意だったラーツィと会うことにした。ラーツィは東欧諸国への企業体としてのレヴァント-ホールディングスの進出の際の協力を申し出ており、これまでの関係を考えれば、悪くはない話だった。 『大丈夫なのか?』 ラウルはひどく不安がっていたが、私はラーツィが裏切るとは考えにくかった。 『父に恩を受けた男だ。裏切りはしないだろう』  確かにラーツィは裏切りはしなかった。私は裏の仕事に長けた腕利きの連中とヴィボルグに向かった。  だが、ヴィボルグの古城に着いた時、ラーツィは姿を現さなかった。異様な静けさが辺りを包んでいた。異変に気付いたのは、モバイルの緊急通信のランプが点滅した時だった。 『罠です!ラーツィが殺られました。退いてください!』  ニコライの声がワイヤレスから叫んだ時、同時に一発の銃弾が私の耳許をかすめた。 「レヴァント、ここが君の墓場だ。今度こそ君を葬る。可哀想な未亡人は安心して私に任せたまえ!」 「崔!」  不気味な死神の声が塔の上から響き、ゆらりとその影が消えるとともに、銃撃戦が始まった。 「ここでは不利です!中へ!」  引き連れてきた部下はいずれもこの手の修羅場には慣れているが、いかんせん数が違う。七、八人の私の部下に対し、撃ってくる弾から敵はおおよそ二十人はいるだろう。  塔の中に身を潜め、向かってくる敵に銃弾を浴びせながら、私は自分の迂闊さを責め、愚かさを悔いた。  流れ弾を脚に受け、焼けるように熱い。脇腹や腕にも銃弾がかすめ、銃爪を引く手が痺れ、思うように標的が定まらない。  大広間に駆け込み、物陰に身を隠し、カートリッジを替える。 「つ....」  額をかすって銃弾が壁に突き刺さった。 ーラウル.....ー  愛しい笑顔が瞼に浮かんだ。私は死ぬわけにはいかない。彼を残して、奴などの手にかかるわけにはいかない。  ありったけの気力を振り絞って反撃を続けた。額から流れる血が眼に入り、視界が奪われる。....とその時だった。  建物の外から銃撃とは異なるエンジンの唸る音が近寄って来た。外の敵が叫び、喚く声が聞こえる。 ーバイク?ー  と、爆発音が響き、私を追い詰めていた連中が動揺し、背後を振り向いた。その眼に映ったのはフルスロットルで駆け上がる大型バイクのヘッドランプの眩しい光だった。 「ミーシャ!」  幻聴が聞こえたように思えた。私もいよいよ最期かと一瞬、覚悟を決めたその時、怯む男達の頭上を銀色の車体が飛び越え、私と襲ってくる崔の部下達を隔てた。と同時にしなやかな美しい指先が私に銃を向ける男達に向かって手榴弾を投げつけた。手榴弾は中心にいた男を直撃し、周囲の男達も爆発に巻き込まれ、吹き飛んだ。 「ラウル!」  愛しい恋人の幻が眼に映った。まさか.....。 「撃たれたのか、ミーシャ」    幻はバイクを飛び降り、私にキスした。温かい唇がそれが実体であることを、紛れもなく私の愛しいラウルであることを実感させた。ラウルは手早く私のシャツを裂いて傷を縛った。 「大丈夫だ、かすり傷だ....それよりお前なぁ...」  私は彼の温もりに気力を奮い起こし、同時に無茶を叱らねば、と思った。 「行くぞ!」  ライダーはイリーシャだった。彼は私の身体をタンデムシートに押し上げた。と、人の入ってくる気配がした。身構える私を庇うように彼は仁王立ちマシンガンを手に取った。彼が叫んだ。 「イリーシャ、ミーシャを頼む!」 「ラウル!」  彼の援護のもと、バイクは大きく助走を取り、入ってくる男達の頭上を飛び越えて外に出た。私の背後を追おうとする男達を彼のマシンガンが次々に撃ち倒すのがわかった。  ふと眼を上げると、ニコライが車を突っ込ませ、私の部下達とこちらに駆け寄ってくるのが見えた。私はニコライに抱えられて車に乗り込んだ。ニコライがモバイルに向かって叫んだ。 「ボスは確保しました。急いで!」  そして、彼が、ラウルが叫ぶ声がモバイルから響いた。 『行け!早く!....-ミーシャを安全な所へ!俺に構うな!』  私は思わず身を起こそうとして、ニコライに押さえられた。 「ラウル!」  彼の叫びが続いた。 『早く!後から行く!』  ニコライは躊躇なく車を発進させた。 「ニコライ!」  ニコライはいつも通りの平静な口調で、だがひどく青ざめた顔で答えた。   「ラウルさんは、必ず後から来ます。まずは休んでください」  言われなくても、私の意識は失血で限界間近だった。私は車のシートに深く身体を沈め、ラウルがすぐに戻ることを信じて眼を瞑った。  その祈りは届かず、私は一月以上も長い煩悶の日々を送らねばならなかった。    
/130ページ

最初のコメントを投稿しよう!

605人が本棚に入れています
本棚に追加