ミハイルside 30~ラウルの略奪~

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ミハイルside 30~ラウルの略奪~

 私が眼を覚ましたのは病院のベッドの上だここはった。身体には幾重にも包帯が巻かれ、身動ぎはおろか、呼吸をするだけでかも激痛が走った。傍らにはイリーシャがいた。 「ここは?」 「サンクトペテルブルクの陸軍病院です。事情が事情なので、民間の病院に運ぶわけにはいきませんでしたので.....」  イリーシャは溜め息混じりに言った。私はまず周囲を見回し、あり得べからざる事態に気付いた。 「ラウルは....?」  イリーシャの表情が曇り、唇が苦し気に掠れた声を漏らした。 「わかりません」 「わからない、だと?」  私は思わず声を荒げた。硬直させた身体のあちこちに激痛が走る。イリーシャは躊躇いがちに言葉を繋いだ。 「あなたを救出した時、あなたや私達とラウルさんとの間を何者かが塞いだ。......それが何者かはわかりませんが、ラウルさんは、我々を逃がすための囮になり、敵と対峙していたのは確かですが.....」 「ですが?」 「その後のことはわかりません。翌朝、早々に現場の『後始末』に向かいましたが、ラウルさんの遺体は無かった。此方の味方二名と十名を越す敵の死体は確認出来ましたが、ラウルさんらしきものは無かった」 「当たり前だ!.....そんなことが、そんなことがある筈がない!」  大声で叫ぶ私にイリーシャがたじろいだ。  その時だった。 「安静になさってください」  極めて静かにドアを開けて、入ってくる姿が眼に入った。ニコライだった。私は半ば落胆しつつ、彼を見上げた。ニコライは私の激昂を諌めるように少し眉根に皺を寄せて言った。 「ラウルさんは、生きてます。体内のGPSが正常に作動しておりますので、健康状態にも深刻な問題は無いものと思われます」  ラウルの体内に埋め込んだGPS は、体内を流れる微弱な電流を動力に作動している。ニコライが開発したものの中でも、最も高い性能を持ち、生体活動の異変も知らせてくれる。私はほんの僅かだか、安心した。 「何処にいる?」  私の言葉にニコライは淡々と答えた。 「わかりません」 「わからない.....だと?」 「現在、解析中です。.......リモートコントロールのドローンの赤外線の映像によれば、眠らされて、船舶で連れ拐われたと思われます」 「連れ拐われただと?!」  私の雄叫びに、ニコライが極めて冷静に言った。 「ラウルさんが、あなたの救出のためにヴィボルグに乗り込んだことで、崔の矛先が変わった。おかげで私達は無事に....とは言いませんが、あなたを救出することが出来た」 「誰もそんなことをしろとは言っていない!」  誰よりも、他の誰よりもラウルを巻き込みたくは無かった。自分の失態によって生命の危機に陥ろうとも、彼を危機に晒すようなことはしたくなかった。  ニコライは眼鏡のブリッジを押さえ、淡々と告げた。 「ラウルさんの判断です。ラウルさんはあなたの危機に備えて、イリーシャ達と有事の時のチームを作っていた。今回のあなたの危機を救ったのは、その作戦の成果です。私は彼の勇気とあなたへの思慕の深さに感銘を受けました」 「ニコライ......」  私は自分の愚かさと迂闊さを呪った。自分の不手際で最も大事なものを奪われる羽目になろうとは......私は誰よりも自分が許せなかった。 「おそらくは崔のアジトの何処かに拘束されているものと思われます。現在、ラウルさんのGPS の電波とアジトに潜入させている諜報員達の情報から、現状を解析しているところです」  私の脳裏に、あの忌々しい崔の姿が浮かんだ。ギリギリと歯噛みをして、私は叫んだ。 「奪還だ!何があっても、ラウルを取り返す!」  いきり立つ私を抑えるイリーシャに目配せをして、ニコライは続けた。 「落ち着いてください、ボス。あなたは怪我人だ。今のあなたの状態では、奪還などとても無理です。まずは傷を治すことに専念してください」 「ラウルを見捨てろというのか!」  私には、そんなことは、それだけは到底出来ることでは無かった。そんなことをするくらいなら、蜂の巣にされて死んだほうが、ましだ。 「そのようなことは申しておりません。ラウルさんの居場所を特定して、奪還する手だてを練るにも少々時間がかかります。その間、治療に専念してください、と申し上げているのです」 「何を悠長なことを言っているんだ!その間に何かあったら.....」  半狂乱の私に溜め息をつきつつ、ニコライはタブレットを確認した。 「大丈夫です。崔はラウルさんを殺せない。それに......あなたが心配しているようなこともすぐには起こらない」 「何故わかる?!」 「邑妹(ユイメイ)さんから通信が入りました。崔の懐に飛び込むことに成功していたようです。『驚いた....が必ず、クイーンは守る』と諜報員を介して伝えてきました。崔のことなので、そうはっきりとした動きは取りづらいようですが、ラウルさんを守ることは可能なようです」 「邑妹(ユイメイ)が......」  私は、あの決意に満ちた背中を思い出した。  それから私は傷が治るまでの暫くの間、自責の念とラウルの欠落の苦痛に煩悶し続けた。  眠ろうにも、崔の手に怯えて、私を求めて泣き叫ぶラウルの姿が浮かんで、碌に眠れず、睡眠薬を処方される始末だった。  ニコライにー崔は不能です。邑妹(ユイメイ)さんから聞きましたーと耳打ちされた、その事だけが救いだった。
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