第一話:異世界転移は血と潮の香り

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第一話:異世界転移は血と潮の香り

 日常が非日常に変わる瞬間というのはいつも突然だ。  災害だって予測できないし、どれほど気を付けていても事故に遭うときは遭う。  非日常というのは平穏な日常に埋もれてしまい忘れがちだが、いつもすぐ近くに存在するのだ。 「そんな! ミナト、ダメ!」  小太りの暴漢が包丁を向けながらこちらへ走ってくる。  月光が反射し鈍く光りを放つ包丁は確実にこちらへ迫ってきている。 (どうして……どうしてこうなるんだ……!)  幼馴染であるヤマガワ・カエデが暴漢に襲われていると聞いてカトウ・ミナトは助けに来た。  それなのに今、カエデはミナトを庇う様に目の前に立っている。  あと数回、まばたきをしない内に包丁は深々とカエデの腹部を突き刺すだろう。 (ダメだ……こんな所で死んでは……。こんな所でカエデを死なせてはいけない。  どこでもいい。奇跡というものがあるとするならば、今だ。  こんな奴らがいないどこか遠い世界へ飛ばしてくれ!)  ミナトはそう強く想い、カエデの手を握った。  その瞬間、血と潮の匂いが混じった不思議な感覚が鼻孔を刺激する。   「ねぇミナト……」  ダメだった。  現実はそう甘くない。  この幻聴は冷酷な神様の唯一の施しだろうか。  ミナトは溢れ出そうになる涙をこらえながら、強く手を握る。 「痛っ! ねぇミナトったら!」 「いてぇ!」  突如頬をビンタされたような痛みに、思わずミナトはのけ反ってしまう。  そしておそるおそる目を開ける。 「え……カエデ?」  目の前にはさっき包丁に刺され、死んでしまったと思っていたカエデが立っていた。  さっきからずっとミナトに無視されご立腹なのか、頬を膨らませ不満げな表情をしている。 「だからさっきから言ってるじゃない、ミナトって」  カエデが腰に手を当てて深くため息を吐く。  そして「しょうがないなぁ」とほほ笑む。 「カエデ……」 「ちょ、ミナト!?」    そんな様子を見てミナトは強くカエデを抱きしめる。  驚きと恥ずかしさからか、手をバタバタさせていたがカエデもそっとミナトの背中に手を回す。 「良かった、生きていてくれて。俺、俺……」 「うん。生きてるよ、私。ありがとうミナト」  本当に大切な物は、失ってから気づく。  ずっと昔から気づいていたけれど、気づかないふりをしていた。  ミナトはそんな心の奥底に押し込んでいた気持ちを伝えようと、カエデの目をじっと見つめる。 「カエデ、俺……」 「いたぞ、異国風の服装。たぶんあいつらだ!」  ミナトとカエデ二人だけの空間は、野太い男の叫び声と騒々しい足音で切り裂かれる。  迫ってくる五、六人の男たちは服装はバラバラだがいずれもその手には拳銃やナイフなどの凶器が握られていた。 「逃げよう、カエデ!」 「う、うん!」  反射的にミナトはカエデの手を取り、走り出す。  見た所この辺りはレンガ造りの倉庫が所狭しと立ち並ぶ倉庫街の様だ。  道も入り組んでいるし、万が一の可能性かもしれないが逃げ切れるかもしれない。  暴漢に襲われたと思ったら、次は反社会的集団に襲われている。  正直普通の学生としての生活を送ってきたミナトの頭では既に理解できる範疇を超えている。 「キャア!」  数回の発砲音が聞こえると、カエデが突然その場に倒れこむ。  頭を打ったのか、気は失っているがモモから血が出ている。 「やれやれ、大人の手を煩わせやがってよぉ!」 「グッ!」  守るようにカエデに覆いかぶさっているミナトを、容赦なく男が蹴りつける。  横腹を蹴られ呼吸が苦しい。 「おいおい、大事な商品に傷をつけるな」 「分かってる。ただ大人しくしてもらうだけさ」  男は楽しそうに笑いながらミナトに拳銃を向ける。  絶体絶命とはまさにこの事だろう。  引き金に手をやる様子がスローモーションに映る。  数秒後に襲うであろう激痛に備えミナトはギュッと目をつむる。  その瞬間だった、その声が響き渡ったのは。 「死にたくなかったら頭を下げろ!」 「な、お前は!」 「ぐわぁ」 「アガッァ!」  一瞬暴風が吹いたと思ったら、男たちの喚き声やうめき声と共に静かになる。  おそるおそる目を開けると、そこには刀を持っているスーツの男が立っていた。 「うん、良い判断だ」  スーツの男は刀についた血を払い鞘におさめる。  月明かりに照らされ神秘的にも見える所作にミナトは圧倒され、言葉を失う。 「色々聞きたい事はあるだろうが今は時間が無いんだ。立てるか?」  ハッと我に返ると、黒い影がまっすぐスーツの男の方へ突っ込んでくるのが見える。  ミナトは酸欠気味の肺にムチを打ち、声を出す。 「危ない!」 「おっと」  再び暴風が吹いたと思ったらそこには黒いマントをはおり、仮面を被った人間が立っていた  そしてその左肩にはカエデが担がれている。 「反応は一つだったはずだが。どちらかが外れという事か……?」  男だろうか。低く、くぐもった声で仮面がつぶやく。 「誰だか知らないがアンタにその子を渡すわけにはいかないな」  スーツの男がミナトの前に立ち、刀に手をやる。 「昔のなじみで教えてやるがあまりここには長居しない方が良いぞ」  仮面の男がそう言うと、路地の陰からゾロゾロとライフル銃を持った男たちが集まってきてミナトたちに銃口を向けている。 「チッ、時間切れか。悪いがここは退かせてもらうぞ」  スーツの男はミナト軽々と肩に担ぎあげ、走り出す。 「ちょ、ちょっと待って! カエデが……!」 「申し訳ないが今は無理だ。だが安心しろ。あの子は絶対に俺が助けてやる」  スーツの男の芯が通ったはっきりとした物言いに、ミナトは思わず黙ってしまう。  圧倒されたのではなく、なぜだかこの人の言葉は信じられる。  そんな気持ちだった。 「うっ……ゲホッ……!」  仮面の男にかつがれていたカエデが目を覚ましキョロキョロと周囲を見渡す。  そして同じように担がれているミナトと目が合う。 「ミナト、私……!」 「カエデ! 絶対に助けに行くから! だから待ってて!」  ミナトは決意を込めて二ッと笑い手を伸ばす。  そんなミナトを見て、カエデは大きく目を見開いたがすぐに同じように手を伸ばす。 「うん。待ってる! 待ってるから!」  路地を曲がり、カエデの姿はもう見えない。  だが最後に見たカエデの笑顔は強烈に目に焼き付いている。  ミナトが手を伸ばしたようにカエデも手を伸ばしていた。  あの手を取るためならなんだってやってやる。  そう決意し、ミナトは強く拳を握る。  そして限界が来たのか、ミナトは意識を失った。
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