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present 2
頬に落ちた水滴に我に返る。見上げると、秀英が涙を流していた。
「明美さん… ありがとう」
「ん…」
声を出して、明美は自分も泣いていた事に気付いた。
「だから、話せなかったんだね」
「え?」
「明良に、お父さんはどこの誰かもわからないって言ったんだろ?」
秀英は涙を掌で拭うと、明美の目を見つめた。
「昔、明良にお父さんの事を聞いた事があるんだ。その時、明良は全くの無表情で、どこの誰かもわからないんだって、涙も流さずにそう言ったんだよ」
昔、無邪気に尋ねられた時にぶっきらぼうにあしらった事を思い出す。
「でも、俺は信じられなかった。明美さんが、子どもを産もうと思うくらいなんだから、本当に大切な人の子どもなんだろうって、そう思ってた」
秀英が明美の身体をかき抱く。
「明良のお父さんは、本当に素敵な人だったんだね」
「ああ」
明美は身を起こすと、氷の解けたウイスキーを飲み干した。既に空だった秀英のグラスに氷を入れようとして、全て解けているのに気付いた。
「随分、長話しちゃったね」
「そうだね」
周囲は第2陣の客が溢れている。
「氷、もらってこようか」
立ち上がった明美の前に、いつの間にか来ていたママが顔を出す。
「明美ちゃん」
「ママ」
「恭ちゃんから聞いたわよ。今日は帰っていいわ」
ママが明美の手から氷入れを取る。
「たまには、こんな日もいいわよ。せっかくだから、ゆっくり昔を思い出しなさいよ」
「そう?」
「うん。アカネさんだって、たまには思い出してほしいと思うはずよ」
明美を娘だと言ってくれていたアカネは、明良が幼稚園に上がる頃に急死した。今のママは当時店のナンバーワンだった桃香だ。
「そうだね。そうする」
「うん。秀英さんも、今度はちゃんと飲みに来てね。恭ちゃんが喜ぶから」
桃香が秀英にウインクする。
「…はい」
秀英は複雑そうな表情で頷く。恭二が秀英を気に入っている理由を知ってるからだ。
「じゃ、帰るか。従業員側から出ていい?」
「もちろん。明美ちゃんは今日、お休みって事にしてあるから。この代金は私と恭ちゃんの奢り。気にしなくていいわ」
「ありがとう」
秀英がゆっくりと立ち上がる。
「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。明良ちゃんによろしくね」
桃香は明良を産む時に傍にいてくれた一人だ。明美は肩をすくめると、秀英の手を取って従業員の出入口に向かった。
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