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「ごめん。泣かせたかった訳じゃないんだよ」
「泣いてないよ」
「うそ」
横から青が覗き込む。鼻をすすって、青を見上げた。
「俺の話し、聞いてくれる」
「……いいよ」
草むらの中で虫がりんりんと泣いている。お気に入りのパジャマみたいに、肌に慣れた路地裏を歩く。
白いシャツが発光しているようだった。
「俺、引っ越すことにした」
「どこに」
「遠く」
ぽつんと遠くの土地の名前を言われた。遠くの、いくつもの山と街を超えた、海のない土地の名前だった。
「どうして?」
「母さんが、俺を探しているみたいで、もう、俺が、行くしか、ない、と、思う。俺は、あの人に死んでも会いたくないから」
「うん……」
「……もう夢の中じゃ生きていけないな」
そうかもね、と返事をした。そんな日は、来ないと思ってた。あたしはもう、ホオズキにビー玉を入れてくれとせがむようなことは出来ないけれど、青だけは、青だけには。そんな日は来ないと。思っていた。
思っていたかった。
「もうこんなこと出来ない。誰かに……、かもめに助けてもらうことも出来ない。逃げるだけだけど。でも、俺は行ってくる。帰らないと、思う……」
「青のことだから、もうぜんぶ決めたんでしょ」
「うん」
平屋の住宅地の中でちょっと背伸びをしてる、あたしの家の前だった。青が門を開く。線香のにおいがする。
「青、ねえ、やっぱり、おばあちゃんには挨拶してよ」
「……かもめ、」
「もうわがまま言わないから。お願い」
青が静かに息を吐いた。玄関の上がりがまちでタオルを渡す。白い足が薄く灰色に汚れていた。
玄関から入ってすぐの仏間に入る。紫色の座布団に正座して、ロウソクに火をつける。小さな火に線香をかざしてから、線香立てに差し込む。高く細くお鈴が響いた。
伏せた金色に近いまつ毛が、細かく震えてるのを見つめた。長い沈黙のあとに、青い瞳が現れる。
「……帰る」
青が立ち上がる。半ば無意識に手を伸ばして、スラックスの裾を握る。
「いつ行くの」
「明日」
「ばか」
「ごめん」
「泣かないでって言うけど、泣かせてるの、あんたじゃないの」
「……ごめん」
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