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「青、」
腰が強く抱き寄せられた。潮騒と青の心臓の音だけ。
「あのねえ青、お母さんは今日夜勤で、お父さんも出張で、あたしひとりでさ、迎え火もあたしひとりでしたの。ぜんぶひとりでやった」
「うん」
「わかってるよ。忙しいんだよ」
「うん」
「でも、すごく寂しかったの」
寂しかった、とあたしは言う。寂しかった。外を眺める。今更こんなことしたって意味はないけど。祖母は帰ってこないけど。
あの日だって、母も父も家にいなくて、あたしが。あたしだけがいたのだ。
「かもめ、」
ぎゅっと目をつむる。優しい声だ。溺れそう。
「かもめが責任を負う必要なんてないのに。でも、それは、きっと、かもめが一番よくわかってる」
「……うん」
わかってる。それは、正解だと、思う。いつもは忘れてしまえるような傷口から立ち上る、後悔と寂しさだった。
仕方なかったよ、と誰もが口を揃えて言った。物忘れはひどかったけど、穏やかな性格は変わらないままだった。徘徊することもなかった。なかったのだ。あの日まで。一度も。
あたしの名前も忘れたのに、あたしにホオズキを渡してくれた祖母は、今となってはただのうつくしい思い出だ。
「どうやったら、辛いことぜんぶ忘れられるんだろうね」
忘れたいことばかりだと青は耳元でささやく。だから海に来るのだと、あたしだけが知っている。
「遠くに行きたい。消えてしまいたい。なにも考えたくない。悪夢を見たくない。眠りたい。夜を、」
一過性の苦しみを、あたしたち永遠だと信じて苦しんでる。
「夜を超えることが、ひとりでできないのは、欠落と呼ぶべきなんだろうかと、思ってしまう」
帰ろうかと青が言った。そんなこと言っておきながら。
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