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深紅の瞳
目に映る平穏な日常が、必ずしも自分を含めたものであるはずがない。
公園で無邪気に遊ぶどこかの誰かの子供を眺めていると、まるで巨大なスクリーンに映し出された映画のワンシーンでも見ているようだった。背筋を伸ばしベンチにもたれかかると、腰のあたりにごつりと硬質で重厚なものが確かにそこにあった。中には銃弾が十発。それが余計に目の前の情景と自分とを隔てる何かを作り上げているのかもしれない。
彼女に会ったのは二週間前。妻を失ってから、一カ月後のことだった。もし、彼女に会うのがもう少し遅ければ、わたしも妻の後を追うように自ら命を絶っていたのかもしれない。自暴自棄に陥り、普段行くようなこともない街外れの喫茶店にふらりと立ち寄って、カップに注がれたコーヒーを飲むのに二時間を費やしていた時だった。
「お久しぶりです」
突然声を掛けれられ顔を上げると、そこに彼女が立っていた。右目は白く濁って光を失ったように曇り、瞼や額、頬にいたるまで大きな傷跡がくっきりと残ったその顔は、二十年以上経った今でも鮮明に思い出す事が出来た。
当時新米の警察官だったわたしは、上司に連れられとある疑いのある住宅を捜査していた。発端は隣人からの通報だった。隣の家から頻繁に子供の泣き叫ぶ声が聞こえるというもので、わたしはその家へ上司と何度か立ち寄っていた。子供の母親はシングルマザーで、恋人と一緒に三人で暮らしていた。もちろん警察とはいえ憶測で動くことなどないのは承知のうえだったが、裏付けや手続きなどのあまりの遷延さに苛立ち、若さゆえの感情で行動を起こしてしまったのだ。
ある夜、勤務とは関係なく独断で子供の家の隣人に頼んで、家にあがらせてもらっていた。そして深夜十二時をまわった頃、大きな物音とともに子供の泣き叫ぶ声が響いてきたのだ。そのあまりの異常さにわたしは血の気が引いた。側にいた隣人も、今までこんなにも酷いことはなかったと体を震わせていた。そこからの記憶はうろ覚えだが、わたしは激情し、ベランダづたいに隣へ行き窓ガラスを蹴破って家の中へ飛び込んだのだ。気付けばわたしは上司に後ろから羽交い絞めにされ、足元には体中刺青だらけの男が血だらけになって横たわっていた。はっきりと覚えているのは、その傍らで、下着姿で全身痣だらけの少女が、顔を腫らし右半分を真っ赤に血で染めながら、見る限り唯一正常だった左目でわたしをじっと見つめている姿だった。後になって分かったことだが、母親とその恋人は重度の薬物中毒だった。遅かれ早かれではあったのだが、わたしのとった行動に対しても十分処罰されることになったのだ。
あの時の少女が、わたしの目の前に見違えるほど清爽とした表情で現れたのだ。
「驚いたな。あの時の……。立派な大人になって」
「ずっとお礼が言いたかったのですが、すみません。あの、ほんとうにありがとうございます」
彼女は深々と頭を下げた後、わたしの向かいの席へ目線で許可を求めた。短く切りそろえられた髪に、小麦色に焼けた肌。フォーマルスーツに身を包んではいたが、その上からでも分かるくらいに健康的で筋肉質な体つきだった。
「この辺りで仕事しているのか?」
「住んでいるのはそうですが、職場はべつです」
口角を上げ、淡々と話す彼女に何を話せばいいのか言葉を選んだ。踏み込んだ話をして傷口を開かせてしまうことになっても申し訳ないと思ったからだ。それでも、何か話さなければと思っていると、彼女の方から口を開いた。
「実は先日。あなたを見ました」
「おれを? なんだ、声を掛けてくれたらよかったのに」
そんな偶然もあるものなのだなと思いながら笑みをこぼす。それに反して彼女の口角が少し下がった。
「場所が、場所だったもので」
「場所……?」
妙な言い方をするなと思っていたが、思いあたる節があり、それを聞いてわたしの心臓が反応する。
「例の施設です」
息が詰まり、心臓が体の内側を打ちつける。その鼓動が、同時に行き場のない怒りと憎しみを叩き起こした。施設と聞いて、わたしが足を運ぶのは一つしかなかった。
『児童保護教育特設法』
何年か前に国が新たに打ち出した法律。ただでさえ少子化の進む国内において、その多数が年々増え続ける少年犯罪や虐待などにより国の意向と逆行するように進んでいる中、その根源を「可能性」の段階で絶ってしまおうというものだった。しかしそれは、児童保護とは名ばかりの、まったくもって冷徹で非情たるものだった。
結婚して数年。不妊に悩みそれでもやっと授かった息子だった。
その息子の五歳の誕生日。奴らは突然やってきた。
インターホンが鳴り玄関を開けると、そこには防弾マスクに武装した数人の男たちと、その後ろには、褐色のハットに同じく褐色のレンチコートを着た男が立っていた。武装した男の一人が一枚の紙をわたしの目の前に突き出した。『児童保護教育特設法』と見出しに書かれたその紙を一瞥し、奥のハットの男に視線をやると、男は右手でハットを軽く浮かせ小さく会釈した。それから不気味に顔を歪めた笑みを浮かべた。
「なんだこれは」
「突然すみません。政府のものです」
男は終始口角を上げ落ち着いた様子で話してはいたが、声に抑揚はまったくなく、その目は獲物に狙いを定めた獰猛な猛獣のようだった。
「ご存じだとは思いますが、あなた方のご家族がそちらに記載されている法の対象となりましたのでお伺いいたしました」
「バカなこと言うな! そんなわけがない! おれは警察官だ。そんなことあるわけがない!」
奥の部屋にいた妻と息子も、突然の騒ぎに様子を窺いに玄関へ顔を出した。
「こっちに来るな。奥に行ってろ!」
「お気持ちは分かります。ですが、あなた方の経歴、過去の家庭環境。性格分析や収入。交友関係。まあ、他にもたくさんあるのですが極秘なものでして公開はできませんのであしからず。これらの結果、あなたのご家族は将来虐待、もしくはお子様が少年犯罪に手を染める可能性が十分にあり得ると判断されましたので。今後はあなた方に代わって政府がお子様の保護、教育を請け負います。今後の面会についてや養育費の手続きなどは追ってご連絡いたしますので」
「ふざけるな!」
抵抗しようとしたが、武装した数人の男たちによって床にうつ伏せに抑えつけられ、泣き叫ぶ妻と息子を強引に引き離し連れて行った。いや、奪われたのだ。玄関のドアが閉まる寸前、ハットの男の不気味な笑みと、わたしを見るあの目を決して忘れることなどできるはずがなかった。
政府によって突然施行されたこの法は、次つぎと子供たちを奪っていった。連れ去られた子供たちは各地に点在する施設に収容され、成人するまでそこで生活し教育を受けることになる。施設の中でいったいどういったことが行われているのか知る者はいない。なぜなら施設全体が高い壁で覆われ、上空には常に偵察用のドローンが飛び、入口は武装した軍隊で警備されている。法の内容はほとんどが極秘なのだ。家族といえど自由に出入りすることは許されない。僅かに許された面会は政府によって日時が決められる。子供が十歳になるまでは面会は半年に一度。十一歳から成人までは三ヵ月に一度。それもたった二十分程度。養育費などは国が約半分を負担し、残りを家族が毎月決められた額支払う。まったくバカげた法律だ。それでも、中には子供の面倒をみる苦労がないことや金銭的な問題。自分の時間が自由になることから、この法を悪く思わない親たちも少なくはなかった。わざわざ「わたしは虐待するかもしれない」、と訴え無理やり施設へ預けようとする者もいた。
わたしは落ち着くためにすっかり冷めきったコーヒーをゆっくり喉に通し、彼女を見た。彼女の左目はじっとわたしの目を捉え、わたしが何か言うのを待っているようだった。
「あんたも子供を奪われたのか……?」
「いえ」
「じゃあなんであそこでおれを見たんだ?」
「わたしはあの施設で警備を担当しています」
わたしは思わず立ち上がっていた。握った両手に力が入る。店内にいる数名の客の視線を浴びているのが分かる。
「どうか座ってください。今から話すことは極秘です。関係者にばれてしまえばわたしもあなたもただではすみません」
わたしは大きく息を吸ってから、周りの客に軽く会釈し座りなおした。
「す、すまない。気が動転してしまった。まさかあの施設の警備とはな。屈強な男しか雇われないと聞いていたんだが……」
政府の保護施設に女性はいないはずなのだ。職員から警備まで男だけで構成されていると噂を耳にしたことがある。子供を奪われた家族が時折起こす過激な報復行動に対処するためでもあるそうなのだが、その中でも独身で、子供を持たないもの。結婚歴もなく。恋人もいないもの。など、まるで一切の母性を排除するかのようなものだった。ましてやその警備に女性がいるとは思ってもみなかった。たしかに、武装した警備は誰もが顔全体を防弾マスクで覆い、一見して男か女か分かるわけがなかった。
「ええ本来ならば。ですが、わたしは特別でしたので……」
今度は白く濁った右目がわたしの目を捉えている。わたしは思わず、見えていないはずの視線から逃れるように窓の外を見た。
「お子様が、施設にいるのですね?」
「ああ、息子がな……。今年で十四になる」
「元気にしておられましたか?」
わたしは言葉に詰まった。元気でいたかどうか? そんな類の言葉で説明できるようなものではなかったからだ。息子が五歳の時に政府に連れて行かれ、そこから十歳までの間の面会は半年に一度。その頃から面会での息子の様子に妙な違和感を覚えていた。普通に話しをしているように思えるのだが、どこか不自然で、時折これから話す内容を思い出そうとする仕草を見せた。そしてその違和感が明確に現れたのが、息子が十一歳になって、面会が三ヵ月に一度許されるようになってからだった。その頃にもなれば息子も淡々と会話をするようになり、はたから見ればごく自然な親子の会話に見えただろう。だが、長年刑事として様々な偽りや嘘の供述に関わってきたわたしには、その自然であることが、あまりに不自然なものであったのだ。僅かな面会での親子の会話にしては、あまりにも淡々と話し過ぎる。終始笑みを見せながら話してはいるが、その口角はまるで自分の意思に反して吊り上げられたものであるかのように、ぴたりと常におなじ角度を保っていた。その不自然に吊り上がった口角とは対照的に、色彩を失ったような虚ろな目は、直感的にわたしに「嘘」だ。と思わせた。それも、訓練され、洗練されたものだ。そのことを妻も分かっていたのかそうでないのか分からなかったが、その頃から少しずつ精神を病んでいった。「あの子はわたしの子じゃない!」などと騒ぎ立て、面会では息子に向かって「おまえは誰だ!」「わたしの子供を返せ!」などと暴言を吐くようになり、いつからか精神病院へ入ることになった。そして一ヵ月前。病院から、妻が病室で自ら命を絶ったと連絡があったのだ。
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