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伝説の魔女
そんなある夜のこと。
レンが遠くを見つめて思い悩んでいるようだったので、どうしたのか尋ねた。
「……遠い海の底に、遥か昔に人魚を人間にした魔女がいるらしい。そこに行ってみようと思う。」
彼はその藍色の瞳でまっすぐ私を見て、はっきりと言った。
「俺はもっとお前の側にいたい。人間に、なろうと思う。」
「レン……。」
彼が私の側にずっといてくれたら、本当にすごく嬉しい。……でも。
「……代わりにあなたは魔女に何を差し出すの?」
「行ってみないと分からない。魔女が何を望むのか。」
私が知っているおとぎ話では、魔女は姫の美しい声を望んだ。
私はレンの腕を掴んで聞いた。
「レンの声を望まれたらどうするの?歌が歌えなくなってもいいの?」
彼の先祖は歌えない期間はとても苦しんだと聞いた。
彼だって歌うことができないのは苦痛なはずだ。
「……声が出せなくなっても、歌が歌えなくっても、俺はお前の側にいたい。」
レンの瞳から、彼の強い想いが伝わってくる。
私は衝動的に、両耳を手で塞ぎながら立ち上がって、レンから離れた。
「……嫌っ! 私は嫌! レンの歌が聴けないなら、こんな耳、いらない!」
「はるか?」
突然のことに、レンが驚いている。
「レンから声を……歌を奪われるくらいなら、私が海へ行く! 魔女が望むものを差し出して、私がセイレーンになって、あなたの側に行く!」
私は海に飛び込んで、沖に向かって進んだ。
「はるか!?」
レンが私を追いかけてくる。
人魚の彼に、泳ぎの速さが敵うはずもない。
彼はすぐ追いついて、後ろから私の両腕を掴んだ。
「待てって! お前は魔女がどこにいるのか分からないじゃないか! それに彼女が人間の望みを叶えるのかも分からない!」
「会ってみないと分からない! ……止めないで!」
私は彼の腕をほどこうと、必死に抵抗した。
「はるか!」
レンが強引に私の体を自分の方に向ける。
私は彼から逃れようと力いっぱいもがく。
「嫌っ! 離し……」
刹那、彼の顔が近づいてきて私のくちびるを塞いだ。
時が止まったかのように、周りが静寂に包まれた気がした。
どのくらいの時間が経ったのか。私が暴れなくなったのを確認して、レンのくちびるが私からゆっくり離れる。
「……分かったから、はるか……。」
まだ間近にある彼が、切ないそうな表情を浮かべている。
「お前の琥珀色の瞳が奪われるのは、確かに嫌だな……。」
彼が私の顔に張り付いた髪を後ろに梳いて私を抱きしめた。
私は彼の首に腕を回して、泣いた。
「私の為に……何も失わないで……。」
彼が宇宙を仰いだ。
「……帰ろう。」
彼が私を抱いたまま、陸に向かって泳ぎ始めた。
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