第二話 刑事

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第二話 刑事

 雨が降っていた。  都心部が梅雨入りしたというニュースはまだ聞かないが、それでも最近は、ずっと雨ばかりが続いていた。  街角で見かける紫陽花が綺麗な彩りを見せるようになった六月の初頭、そのタレコミは俺のもとに届いた。  とある病院で患者の希望に沿った形の安楽死殺人が行われているらしい。  タレコミ主は男性だったようだが、『誰か』までは特定できそうもなかった。  本当なら事件である。  だが、タレコミというのはデマも多い。  理不尽なことは世の中に幾らでも転がっている。大多数にとっては何でもないことでも、その個人にとっては大問題だったりすることもある。だけど、警察組織は便利屋ではない。あくまでも公的な法やルールに従って、それを逸脱した者を捕まえたり、注意喚起したりすることが業務であって、個々人の希望や欲望を満たすために存在する組織ではない。  だから慎重になる。かといって、露骨に無視をしたりするわけでもないが。  俺はとりあえず、できる範囲での捜査を数名の部下に命令した。  警察の捜査というと一般的にはどんなものを想像するだろう。警察ドラマが大量に普及している現在において、それを想像するのはきっと容易いと思う。  数十人体制でバラバラに街を出歩き、洗い出された関係者や目撃者等に事情を聞いて情報を集めていく。  時には関係者の立ち寄る居酒屋に、偶然を装って潜入し、一緒に酒を飲み、くだらない世間話をしながら、関係者たちの職場環境や状況を聞き出していくこともある。  確かにそれは間違っていない。大きな事件で人数が確保できれば、捜査本部の方針で、そのような捜査が行われることもある。  だけど、それはあくまで、ある程度の実態の掴めている事件だからこそできるのあって、素性もわからない人物からのタレコミだと、それほど大規模な捜査を行うことはできないし、予算も下りない。  そこで登場するのが、インターネットを活用したサイバー捜査である。  昨今はSNSやら掲示板やら、個人が情報を発信できる場が充実している。もちろん中には勢いや思いつき、一時の激情や気の迷いによって書かれたノイズの情報も多い。だけど捜査対象の組織や人物を限定し洗い出して調べることができる情報発信サイトは、やはり魅力的な捜査ツールである。  アメリカにはPRISMというシステムがあり、あらゆるネットサービスの情報がすべてリンクされ、捜査当局に匿名を解除された状態で情報提供がされているようだが、この国ではそのような大規模なシステムを構築しなくても、まだ治安を維持できている。そこは世界の警察を標榜しテロリストと日夜戦い続ける超国家と、その超国家の後ろに隠れながら多方面にカネをばら撒くことで平和を維持している我が国との、お国柄の違いであろう。  俺としては、自分で自分の情報を見ず知らずの人たちに公開するなんて、デメリットはあってもメリットはないと思ってしまうのだが、世間の人間はそうでもないらしい。  自分が見たもの、聞いたもの、感じたこと。頼まれもしないのにどんどんネット上にアップしてくれる。だからそれを利用させてもらう。  それに、そのような自己顕示欲の高い者たちに対してネット上でコンタクトを取る行為は、劇的な効果を齎してくれる。  とにかく無口な人ほど、いや、無口でない人であっても、ネット上ではよく喋る。  アマチュア無線で誰かと繋がるまでずっとコールサインを繰り返す現場を見たことがあるが、要はそれと同じで、誰かが反応して話しかけてくれることが嬉しくてたまらないのだ。だからその心理を利用して、こちらの捜査を悟られないようにしてコメントを打つ。  さて、どうなるか。  タレコミ案件で一般的な捜査の指示を終えた布施晴海は、デスクに置かれていた他の事件の報告書の閲覧に取りかかった。
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