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2話 黙っててあげる
劉生は玲へ向けて一歩踏み出した。
「来ないで!」
玲は咄嗟に声を荒げて彼の足を止める。
「忘れたの?私は”二度とあなたに近づかない”ことになってる。偶然現れたのは悪かったけど、今日あなたがいるって知ってたらここには来なかった。だからこれ以上近づかないで」
劉生はわざとらしく悲しそうな顔を向ける。
「そんな悲しいこと言うんだ。俺は会いたくて堪らなかったのにな」
「……お互い今日会ったことは忘れましょう。用があるから会場には戻るけど、なるべくあなたの傍には近寄らないようにするから。それじゃ…」
なるべく視線を合わせないように言いきって
踵を返して会場に向かおうとする。
大丈夫、冷静に対応できた。大丈夫、大丈夫。
心の中で言い聞かせて、任務に集中しようと決める。
後ろから声がした。
「ここ、一般の人は入れないことになってるけど。どうやって忍び込んだの?」
玲の足がぴたっと足が止まる。
劉生は続けた。
「よっぽどのコネか、有名企業の幹部にでもなったのかなあと思ったけど、そんな安い服着てたらなあ。7000円ちょっとってトコか。靴も同じくらい?合わせて15000円。セレブしかこないパーティーにそんなチープな衣装で来るかな?」
(こっこの男…!!!)
煽るような物言いと、値段をズバリ当てられて声も出せずにワナワナ震える。
今振り向いたら羞恥で真っ赤になった顔を見られてしまうだろう。
「どうやって潜りこんだのか知らないけど、バレたら追い出されちゃうんじゃない?まあ別に本当のセレブだったとしても、俺が主催者に追い出してって言ったら先生のこと簡単に追い出せると思うけど」
「なっ…!」
聞き捨てならない言葉にようやく劉生のほうへ振り返った。
劉生はにっこりと玲に笑みを向けているが、目はまったく笑っていない。
「先生の用事って何?手伝わせてくれるなら先生が偽物だって黙っててあげる」
「あなたね…自分が何を言ってるのかわかってるの?」
「どうする?ダメならすぐに追い出す」
劉生の目は本気だった。断れば本当に追い出してくるだろう。
どうすべきか考えあぐねていると、インカムから声がした。
『玲。言うとおりにしろ。手伝ってくれるって言ってんだ、こっちにデメリットねえだろ』
(直親…人の気もしらないで…!)
自分の損得だけで判断するインカムの向こうの男に腹が立つが、確かに客観的に見たらそうした方がいいのだろう。
でも玲の心は激しく揺れ動いていた。
『玲』
「………わかった」
そう答えると、劉生は心底嬉しいといった表情を見せる。
「でも言っておくけど、この案件が終わるまでだから。それ以降は二度と関わらない」
「ツレないなあ。先生、昔はもっと優しかったのに」
そう言いながらくすくす笑う劉生に、その言葉をそのままそっくりお返してやりたい!と玲は心の中で叫んだ。
5年前の彼も何を考えてるかわからない部分は大いにあったが、間違ってもこんな人を揶揄って楽しむような意地悪い素振りは見せなかった。はず。
あの時、私は彼の一部分しか見ていなかったんだろうか。
だから、あんなことになったんだろうか――。
何を考えているのかまったくわからない彼の瞳をぼんやりと眺めながら、玲はちっとも冷静になることなどできなかった。
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