1話 二度と会いたくなかった男

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1話 二度と会いたくなかった男

港区の某最新ビルの最上階にあるルーフトップバー。 広いテラスでは、夏の空気を感じながら眩い夜景を見下ろせる。 最高にラグジュアリーな空間で、そのパーティーは行われていた。 佐久間玲(さくまれい)は目立たぬように会場の隅でワイングラスを(あお)りながら、間接照明が照らすだけのムーディーな空間にほっと胸を撫でおろしていた。 会場にはテレビで見たことがあるような大企業会長に、IT企業のイケメン若社長。人気俳優・女優にアイドル、トップユーチューバーまで、とかなり豪華な顔ぶれだ。 みな高級ブランドの衣装を身に着け、美しく着飾っている。 一方、玲の衣装はオフショルダーのセクシーな黒のロングドレス。 大胆なスリットから覗く足元にはゴールドのハイヒール。 一見ゴージャスな出で立ちではあるものの、なんと総額15,235円(税込)。この場にいる誰よりも安いファッションに身を包んでいる。 ハーフアップにした髪のセットももちろん自前だ。 明るい照明に当てられたら、一発で偽物セレブだと見抜かれるだろう。 履き慣れない11cmヒールで早くも足が痛みを訴えている。 ああ、帰りたい、帰ってしまおうか。そんなことを思っていると、耳につけているイヤリングに扮したインカムから声が聞こえた。 『おい、ターゲットはいたか?』 相変わらずの高圧的な声にイラっとしながらも、小声で応える。 「男の方は数メートル先にいる。経営者っぽいおじさん達が周りを囲んでる」 『そうか。女の方は?』 「女はフェンスの辺り。友達と夜景をバックにして映える写真撮ってるっぽい」 『了解、そのまま目を離すな。かならず2人は後で接触するはずだ』 「OK」 玲はターゲット2人から目を離さないようにしながら 目立たぬように、パーティーに自然に溶け込むように振舞った。つもりだった。 「おねーさん、おひとりですか?」 背後から若い男が話しかけてきた。 20代半ばだろうか。スタイルもよく、顔も整っている。 「よかったら一緒に飲みません?」 これは、ナンパというやつだろうか? さてどう返そうかと悩んでいると、インカムが答えた。 『焦るな。適当に会話しとけ。ナンパされたからって浮かれんじゃねえぞ』 (浮かれるわけないでしょ!) 一言余計なのよ!と心の中で呟き目の前の男に、にこっと微笑み返す。 「俺、スターダッシュっていう事務所で俳優やってるんだ。おねーさん、いくつ?女優さん?」 (スターダッシュ…大手事務所だ。売り出し中の子なのかな) 「社長秘書をしています。今日は社長の付き添いで来ているんです。29歳だからあなたから見たらおばさんかも」 とあらかじめ決めておいた設定で話す。 年齢はさすがにサバはよんでいない。 「秘書さんなんだ!きれいだから女優さんかと思った」 「ありがとうございます」 お世辞でも嬉しく、ワントーン声があがってしまう。 「ね、付き添いって何時までなの?その後一緒に飲まない?」 速攻で口説いてくるとは、相当遊んでるなこの男。 こんな大きなパーティーなんだから、女を引っかけるより顔を売るとか色々やることがあるだろうに…と内心ドン引きしていたが表情には出さずに微笑み返す。 「ごめんなさい、社長の予定次第になりますので…」 「えー大変だね?そしたらまた別の日でいいからさ、連絡先教えてよ」 (そう来たか…) 携帯持ってないんです、はさすが苦しい言い訳よね。 適当に嘘の番号教えておくか。 そう考えを巡らせていた時、会場の入り口あたりがどよめいた。 まるで芸能人でも見つけたかのような浮足立ったざわめき。 こんなセレブ達が驚くほどの出来事が起きたのかと訝しんでいると若手俳優が答えた。 「来たんだ例の会長の孫。なんか噂になってたよね、今日顔を出すかもって」 「例の?何か噂があったんですか?」 「蒼馬グループの会長の孫が来てるんだって。あの一族ってめったにこういうとこ来ないから皆お近づきになりたくて必死なんじゃない?」 「蒼馬グループって、あの財閥の?…そんなすごい方がいらっしゃってるんですね」 「俺も挨拶くらいしときたいけどまあ難しいよね。ほら、一流セレブに囲まれまくってる」 男が指さす、ざわめきの中心部を見る。 一流と言われる社長や芸能人たちが恍惚とした表情でスーツを着た若い男の周りを囲んでいた。 孫、と言われるだけあって、まだ20代前半と思われる風貌をしていて―― 「――嘘…」 知っている。 忘れられるわけない。 思わず、隣にいる男の影に体を隠した。 「うわ、やっばいイケメンだね。お金持ちで顔も良くて次期社長とかチートすぎ」 男の軽い言葉は最早玲の頭には入ってこない。 ドクンドクン、と心臓が早鐘を打つ。 あの時の光景がフラッシュバックする。 ――冬の日 誰もいない教室 教壇の上 掴まれた腕 熱い体 ――もう二度と、会うことはないと思っていたのに…。 「え?大丈夫お姉さん、具合悪い?」 足元がグラついて、その場にしゃがみ込みそうになってしまった。 慌てて取り繕ったように笑顔を向ける。 「へ、平気です。ちょっとお手洗いに行きますね…」 抱き起そうとしてくれた男の手をそっと離して、顔をあげる。 意図せずまた、()の方を見てしまった。 ――彼もこちらを見ていた。 目が合ってしまった。 数秒、時が止まったかのように動けなくなる。 すぐに彼が目を逸らして、金縛りが解けた。 玲は半ば早足になりながら、その場から逃げた。 *** 化粧室の洗面台、青ざめた顔の自分と目が合う。 まだ胸がバクバクしている。 見間違いじゃない、だって彼は―― 『おい、何があった?ターゲットはどうした』 「ごめん直親(なおちか)…今トイレに来てて。ちょっと不測の事態が…」 『ハア?お前ナメてんのか』 「ナメてないっ断じてナメてはないんだけど…!」 『お前の事情なんかどうだっていいんだよ。この仕事にうちの事務所の存続かかってるんだぞコラ』 「うぐっ…でも、でも!」 『ニートのお前を拾ってやった恩義を忘れたワケじゃねえだろうな』 「わ、忘れてません…」 『だったらわかるな?行け』 「は、はい…」 この鬼畜に人間の情けというものは存在するわけがなかった。直親にはどんな言い訳も通用しない。事故で足が折れたと言っても作戦を続行させるだろう。 わたしも今はこの仕事しかない。 仕方ない。やるしかない。 あれから5年も経っている。 向こうはとっくに私のことなど忘れているかもしれない。 大きく深呼吸して化粧室を飛び出した。 「先生」 その呼称で呼ばれ、体が硬直する。 顔をあげると目の前の壁に寄り掛かった状態で彼がいた。 あの頃より少し低くなった声、背も伸びて、大人の男の顔をしている。上等なスーツを纏っているせいか、高貴な色気を漂わせていた。 「神崎くん…」 5年前、彼―神崎劉生(かんざきりゅうせい)―は 私が勤めていた高校の生徒だった。 出来れば、二度と会いたくなかった。 「先生、やっと会えたね」 あの時と同じ笑みを向けられ、背筋がぞくりとした。 それが恐怖なのか、違う感情なのか、今はわからない。
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