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Phrase:0「コンビレンチのお姫様」
男の子は湖のほとりで泣いていた。
ツヤツヤの青い髪に青い目、青白い肌をしたお人形の様な顔立ちをしたその子は、湖で泳ぎでもしていたのか、全身ぐっしょりと濡れた姿のまま膝を抱えてしくしくと泣いていた。
「どうしたの?」
そこへ女の子が通りがかる。
彼女は不思議そうに二、三度目を瞬かせると男の子の正面にしゃがみこみ白い顔を覗き込んだ。
彼よりは少し年下かも知れない。
パサついて広がった赤茶けた髪にヒースが混じった茶色っぽい目。
良く日焼けした肌にヨレヨレのTシャツ姿で、サイズの合わない大きなオーバーオールを着ているその子は子供特有の愛嬌こそあれ、お世辞にも可愛いとは言えなかった。
けれど生気に溢れ活発そうなその姿は、今の彼には酷く眩しく見えたのかも知れない。
「な、なんだ、おまえ!どこから来た……あっち行け!」
突然現れた不思議な少女に驚いたのか、彼は反射的に彼女を思い切り突き飛ばしてしまった。
「のあたっ!?」
男の子より小さな女の子はコロコロと転がり、どてっと転ぶ。
一瞬やり過ぎたかと心が痛んだが、現状それどころではない少年は彼女を無視して、また膝に顔を埋めようとする。すると
「あてて……もう、いたいじゃん!バカ!」
女の子は立ち上がり乱暴な仕草で土を払うと腰から何か銀色のピカピカしたものを取り出した。そしてそれを少し背伸びした位置から男の子の頭めがけ容赦なく落っことす。
「いて!?」
今度は男の子が声をあげた。
「なにすんだ、おまえ!」
キッと睨むと女の子はフンと生意気そうに鼻を鳴らし、それからどこか自慢げに腕を組むとこう言った。
「おかえし!」
「それを言うなら仕返しだろ!?」
「そうともいう!」
「そうとしか言わない!」
「あーもー。うっさいなー、なきむしのくせに!」
「な……!?」
年の割に口が達者らしい女の子は男の子を黙らさせると銀色の棒切れの様なものをジャラッと取り出した。
同じ形をしたサイズ違いの棒切れはカラビナと呼ばれる金具で腰にまとめて付いている。
またあれで殴られるのかと思い、反射的にビクッとすると女の子はそんな彼を不思議そうに見て、そりれから銀色の棒切れを1本、カラビナごとベルトから取り外した。
1番小さいもの。
両の端の形がコの字と輪っかになっていて、大きさは女の子が最初に持っていたものの半分くらいか。
「ん」
「……え?」
「たからもの」
見ていると女の子はその銀色の棒切れをずいっと差し出して言った。
「あげる」
「……いらない」
「あげるから」
「いらないから」
「あげるってば」
「いらないってば!!」
余りのしつこさに叫びながら睨み付けると、女の子は無理矢理それを男の子の手に押し付けた。
「うっさい、バカタレ!ひとのコーイは、すなおにうけとらんか!」
「はあ?!」
舌っ足らずな癖に奇妙に正論地味た発言を始めた少女の変わり様に驚くと、彼女はうんうんと年寄りみたいな仕草で頷きながら
「じーちゃんがいってた!」
「あ、ああ」
じーちゃん?
女の子の祖父だろうか。
多分そうだ。父親の父親、祖父の事を「おじいちゃん」と普通の人は呼ぶらしい。
それの愛称の様なものだろう。
「あげるねっ!」
「あ、おい!」
男の子が戸惑ったままでいると女の子は急に棒切れを取り返す……かと思いきや、そのまま乱暴に男の子の胸ポケットに捩じ込んだ。
「じゃーの!!」
じゃあね、だろうか。
変わった言い回し。
そしてそのまま脱兎の如く駆けて男の子から距離を取る。押し付け……否、あげ逃げか。
「おい、待ておまえ!これ!!」
銀色の棒切れをポケットから引きずり出し、手に持って叫ぶと女の子は遠くで手を振りながら叫んだ。
「コンビレンチ、032だよーっ!!」
「はあ!?!」
まるで呪文の様な単語だった。
ただそれだけは先程と違い、はっきりとした口調で告げていた。
言い逃げすると女の子はあっという間に姿を消す。
「……」
ぽかんとして手の中の不思議な棒切れに目を落とす男の子。
「変なやつ。バカだ、バカ」
口から出たのは悪態だったが、どういう訳かさっきまで止まらなかった涙は引っ込んでいた。
「………」
もう一度、銀色の棒切れに目を落とす。
よく見ると持ち手の部分にうっすらとだが032と刻印されているのが見て取れた。
「サン・ニーって、これか?」
よく分からないがそうだろう。
加えて他にも何か刻印してあるようだ。
まじまじ観察すると裏にはイニシャルらしきものも確認出来た。
それも2種類。古いのと新しいの。
古いものは大分薄れてはいたが辛うじて「G.S」と読みとれた。
一方的、つい最近彫られたばかりの真新しいイニシャルは「S.S」とある。
彼女のイニシャルだろうか。
更に眺めていると、それは至る所が傷だらだが、しっかりと手入れをされ良く使い込まれている事が分かった。
たからものーー宝物と言うだけあって傷はあるのにピカピカで、日に翳すとキラキラと輝いている。
「ほんとバカ」
一人残された少年は呟き、顔をあげる。
いつの間にか太陽で髪も乾いたらしい。
服はびしょびしょで気持ち悪いが、不思議と気持ちは晴れていた。
「帰ろ」
独り言を零すと彼は元来た道を徒歩で戻る事にした。
手には傷だらけでピカピカの奇妙な宝物を、しっかりと握り締めて。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ホログラムネオンが煌めく夜の街をホテルの窓から見下ろしながら、彼はふと胸元のポケットに触れた。
そこには冷たく、硬く、それでいてどこか温かな温もりがあって凍えた指先に心地よい。
「コンビレンチのお姫様、か」
くっとシニカルに笑うと彼は窓辺のカウチに腰掛け、飲みかけの液体が入ったグラスに手を伸ばした。
「名前、聞いときゃ良かったな」
その呟きを琥珀色の液体と共に喉の奥へと流し込み、彼は再び派手な装飾を施された虚栄の街を静かに見下ろしていた。
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