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バーのカウンターのなかでは、ダリルがいつものように正規のスタッフに混じって楽しげに押しかけバーテンダーを勤めていた。ラテン人種特有の、濃い黒い髪と髭を蓄えた、いたって気のいい男で、スタッフにも客にも慕われている。サムは安心して彼に店を任せていられた。
ダリルは、サムに気づいてちょっと片手を上げてみせた。それへ頷いたサムがカウンターに近づく前に、もう彼の好みのジンのグラスが目の前に出されて来る。
「今夜も満員だな ! 」
サムは怒鳴った。そうしないと声はかき消されてしまう。
髭のなかでダリルがニヤっと笑った。
「ありがたいことに、もう五日も女房子供と顔を合わせてないよ」
「たまには早く帰ってやれよ。十二時過ぎたらマネージャーたちに任せりゃいい」
「連中に任せた日にゃ、来週おまえがチェックするのはモルグの収支報告だぜ」
サムは笑い、新たなオーダーが入ったところでカウンターを離れた。ジンを片手に、手摺りの端に隙を見つけて寄りかかる。
絶え間なく流されるロックのビートに、動きつづける若者たちの群れ、また群れ------ 。フロアとバーのあいだをひっきりなしに往き来して、どちらの人数も一向に変わらないように見える。とりどりのライトの条が彼らを切り裂き、浮かび上がらせ、深海に、あるいは焔の奥に、また沈める。いくつもの、若い顔。
リュウ------
ふと、サムは口のなかで呟いた。
そう、彼の名はリュウといった。リュウ・サエキ。東の果ての、ちっぽけな島国の血を受け継いだ、小柄な体躯と黒い髪に相応しからぬコバルトブルーの眼をした青年だった。大学の片隅で、バイオの研究に取り組む教授の助手を務める傍ら、ちまちまとファンタジー小説を書いていた。大人しく、目立たず、友人もすくなかったようだ。構内で互いの車が接触するというアクシデントがなかったら、サムはリュウを知らぬままに卒業していたことだろう。そして、どこかにタイム・スリップするというあんな経験もせずに済んだ。
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