第二話「焼き鳥職人は、食わず嫌い」

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 その三    土曜日、ここ陽だまり商店街では特売サービスデイとして、各お店はそろいのノボリを店前に掲げる。    かなり安いので、近隣以外からも買い物客が訪れる。  また鮮魚店、精肉店、惣菜店では店前にフライヤーや棚を出して、焼きイカやコロッケ、唐揚げといった香りから胃袋を刺激する商品を販売するため、若者や外国人観光客がそれを目当てにやってくる。 「ああっ、このかぐわしき油の匂いにぃ、アタシのお腹が」 「ひばり。  まだ十一時前だし、朝ご飯もいったい何人前召しあがったと思ってるの」  彦一は作務衣に雪駄を履き、横を歩く妹に意見する。  縞のシャツにキュロット姿のひばりは可愛い小鼻をひくつかせながら、彦一を見上げた。 「アタシはぁ、おうちで一番若いのだよ、彦ちゃん。  したがって、アッという間に消化されてしまうのです。  お肉屋さんのコロッケってぇ、これがまたどうしてあーんなに美味しいのか。  リケ女のアタシはぁ、一度研究しようと目論んでいまーす」  こう見えて、実は三兄妹のなかで一番勉強できるのが、ひばりである。  飯をひとさまの二倍、いや三倍以上軽く食すだけのことはある。    音楽以外の教科は、すべて最高位である「5」と点けられた通知表をもらってくるのだから、大したものだ。  生みの親であるママは、プロのヴァイオリニストであったにも関わらず、なぜか音楽だけは、大の苦手のひばり。  ふたりは混雑する通りを歩きながら、菓子間薬局の前にたどり着いた。 「えっ!」  彦一は店前に大勢のお客さんが、わらわらとたかっているのに驚く。  外見から、アジア大陸からの観光客たちらしい。    ふだん、土曜の特売日であっても、薬局が混むことはほとんどない。  だからたいていは、みどりひとりが店番をしているはずだ。 「彦ちゃん、なんだかぁ、すごいひと」 「ああ。  もしやみどりん、てんてこ舞いになっちゃてるのじゃ」 「よーし、護身術の師匠を弟子のアタシがぁ、お助けしまーす。  いっくわよぅ、彦ちゃん!」  ひばりは返事も聞かずに、彦一の腕をかなりの腕力でひっぱり、走った。 「いっ、痛いから、ひばり!  そんなにひっぱったら、痛いから!」  彦一は脚をもつれさせながら、ひばりと共に店内へ飛びこんで行った。      ** 「助かったわぁ、ひばりちゃん。  ありがとうね、お手伝いしてもらっちゃって」 「いえいえ、なにみずくさいことを。  だってえ、みどりちゃんはぁアタシの師匠なんだからぁ、当たり前なんだもーん」  押し寄せていた観光客の団体は、処方箋がないと販売できない第一種をのぞく医薬品やら、洗剤に消臭剤、避妊具にいたるまで、店内に陳列されていたほとんどの商品を購入し、去って行った。  軍隊アリが通過した森のように、棚からほとんどの商品がなくなっている。 「それにしたって、あなたのおにいさま、こんなに体力がなかったっけ」    みどりは白衣の袖をまくり上げて、接客をしていた。  長い脚に、ジーンズが良く似合う。  蔑んだような視線を浴びている彦一は、カウンター前に置かれた椅子に座り込み、カウンターに突っ伏していた。 「あははっ。  彦ちゃんの細腕はぁ、串しか持てないのでーす」 「情けない。  ああ、情けない、情けない」  悪口を耳にし、彦一は顔をゆっくりふたりに向けた。 「いや、ちょっと待った。  あのね、俺は精一杯頑張っていたでしょ。  言葉も通じないのに、身振り手振りで」  みどりはお店のクーラーボックスから、冷えた缶コーヒー二本とオレンジジュースの缶を持ってきた。 「だけどさあ、ひばりちゃんって語学の才能、バッチリだよね。  外人さん相手にペラペラなんだもん、驚いちゃったわ」  オレンジジュースを受け取ったひばりは、満面笑みを浮かべてプルタブを引く。 「アタシはぁ将来、宇宙物理学者になってぇ、NASAへ就職するんだよ。  だからリケ女だけどぉ、英語もうーんと勉強してるんですぅ」 「はあっ、エラい!  さすがはわたしの愛弟子よっ」  女子トークから外された彦一は、ポツンとカウンターに座ったまま、缶コーヒーをかたむける。 「コーヒーが沁みるなあ。  ところで俺たちは、なぜこの多忙な任務を背負わされ」  彦一は首をひねり、本来の目的を思い出した。 「いやいや、お店を手伝うために来たんじゃないってえの。  みどりん、今日は、あなたに呼ばれて来たんだよ、俺たちは!」 「えっ?」 「なに、その『えっ?』って疑問符は。  あなた、一昨日店に来て、相談があるって言わなかったっけ?  アンディさんの件で。  だからひばりも、連れてきたんだよ」  寄せていた眉を、みどりは八の字につり上げる。 「そうだったわ!  ごめーん、彦ちゃん。  お店がパニック状態だったから、すっかり忘れちゃっていたわ。  ごめんねえ」  みどりはしゃがみこんで、おもねるような視線で彦一を見上げた。  ポッと頬を染める彦一。  ひばりは、「なんてわかりやすいんだ、彦ちゃんって」、とつぶやいた。  みどりは腕時計を確認する。まもなく正午だ。 「じゃあ、いこっか」 「えっ、どこへ?」 「彦ちゃん、この場合みどりちゃんはぁ、アタシたちと一緒にミスター・アンディの所へいくんだなあって、推測しないとぉ」 「俺、名探偵ナントカじゃあねえし」  聡明な妹に、口元を尖らせる。 「もう、高校生にムキになっちゃって」  みどりは姉のような笑みを浮かべた。        **  三人は商店街の喫茶店、「サーカスの怪人」へ出向いた。  店内の四人掛けテーブルへ座る。  薬局は、みどりがシャッターを下ろしてきている。  どうせ明日の日曜日は定休日だし、商品を倉庫から補充しなくてはならないから。  予想外な特売デーであった。  この喫茶店の店名である「サーカスの怪人」。  少し、いやかなり変わった名前だ。  店主のアケチさんが江戸川乱歩を敬愛してやまないことから、少年探偵団シリーズのひとつ、「サーカスの怪人」から命名したらしい。  もちろん、アケチさんは本名ではない。  御年七十を迎える喫茶店主は、その風貌が乱歩の描く名探偵明智小五郎に似ているため、開店当初から親しみを込めてお客さんたちは、アケチさんと呼んでいるのだ。  ご本人もそれが、いたく嬉しいらしい。  みどりはアンディとこの喫茶店で、午後十二時半に待ち合わせているという。 「きょうは、わたしの驕りよ。  ランチタイムを楽しみましょう」 「みどりん、俺たちのぶんは払うから」  生真面目な彦一は言う。  みどりは白衣を脱ぎ白いトップスにジーンズ姿であるが、シンプルなぶん、その美貌を際立たせていた。 「だってふたりがヘルプしてくれなかったら、多分わたしはキレてお客さまたちにお帰り願ったかもしれないからさ。  わたしにここは任せて」 「いわゆる恫喝、ね。  そりゃあ、みどりんにキレられたらお客さんは一目散に逃げるわなあ。  そこいらのチンピラよりも、断然コワ」 「ひ、こ、ちゃん」  みどりは切れ長の目で、ギロリと睨んだ。  プロの極道もビビる、この目力。  彦一は「いもんなあ」という言葉を口のなかから発することができないうえ、あやうく失禁するところであった。   その窮地を、妹が救ってくれる。 「あっ!  アタシはぁ、『少年探偵団スペシャル』のぉ、特盛をお願いしようかなあ」  天真爛漫な声で、メニューを指さす。  彦一は呪縛から解放されたかのように、ホッと椅子にもたれた。  少しだけ漏れていたのは、内緒である。 「あっ、あーっと。  じゃあ俺は『コゴローランチ』ね」 「っもう、彦ちゃんたら!  わたしはマジにお嫁入り前の、清楚な乙女なのよ。  失礼しちゃうわね。  ええっと、わたしは『怪人二十麺相ランチ』にするわ」  店内はお昼どきでもあり、にぎわっている。  アケチさんが「小林少年」と呼ぶアルバイトのウエイターと、「文代さん」なるウエイトレスが、店内をせわしく周っている。  ちなみに「小林少年」は、証券会社を定年退職した六十五歳の男性であり、「文代さん」は、アーケード街裏の新興住宅で、主婦をしている五十歳を過ぎた婦人である。  三人は、オーダーを取りにきた小林少年に、それぞれ注文をした。  ちなみに「少年探偵団スペシャル」は、煮込みハンバーグに唐揚げとコロッケ、さらにケチャップで彩りも鮮やかなスパゲッティとサラダがワンプレートに乗っている。  若者向けの一皿だ。 「コゴローランチ」は、ナゴヤ名物エビフライ二尾と、サラダ。  セットには、ご飯とお味噌汁がつく。 「怪人二十麺相ランチ」は、日替わりランチのことで、麺と小丼がセットである。   本日はアケチさん特製の味噌ラーメンと、半チャーハンだ。                                つづく
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