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春(1)
黒板の前に一人、立たされるなんて、叱られてるみたいだ。悪いことなんて何もしてないはずなのに。
「木村 日菜さんです」
担任の先生に名前を呼ばれて、日菜はますます小さくなった。
「ご両親のお仕事の都合で、一年間だけ西中に通うことになりました。……去年は隣の区にある東山中学校に通っていたのよね?」
担任の佐藤先生は母親と同い年くらいの、優しそうな女の先生だった。
「木村さん、あいさつを。一言だけでいいから、ね」
佐藤先生がそっと耳打ちした。やっぱり優しい。
小学校五年生のときの先生は大きな声で、
「それじゃあ、自己紹介をしてもらおうか! ほら、大きな声で、元気に!」
なんて言ってた。その瞬間、クラス中の目と耳が転校生に集中するのだ。あのときは見ている側だったけど、絶対に耐えられないって思った。
黒板の前に一人、立たされるのだって、嫌で仕方がない。
あまり注目されないうちにさらっと終わらせてしまおうと、
「……よろしく、お願いします」
日菜は小さな声で言って、お辞儀した。
顔をあげた日菜はあわてて目を伏せた。三十人ちょっといるクラスメイトたちがじっと日菜を見つめていたからだ。
「はい、よろしく。みんなも仲良くしてあげてくださいね。……木村さんは、あそこの席。一番後ろの、窓から二列目の席ね。目は悪くない? 黒板、見えるかしら?」
「はい」
小声で答えて、日菜は早足で自分の席へと向かった。早く、みんなの視線から逃げたかった。
「一時間目と二時間目は学活になります。クラスの係と委員会を決めますよ」
佐藤先生の号令で、朝のホームルームは終わり、そのまま学活が始まった。
日菜が席に座るとクラスメイトたちと目があった。みんな、振り返ってチラチラと日菜のことを見ている。うつむきそうになった瞬間、
「白石くん、学活を始めますよ。本を閉じて。……白石くん!」
佐藤先生の声にみんなの視線が日菜からそれた。
代わりに一身に注目を集めたのは、日菜のななめ前、窓際の後ろから二番目の席に座っている男の子だった。小柄で細身の男の子。さらさらとした髪が黒猫っぽい。
その子はハッと顔をあげると、
「……気付かなかった」
と、言って本を閉じた。机の中にしまうときにチラッと見えたけど、分厚い小説のようだった。
クラス中の注目を集めているというのに当の男の子は涼しい顔だ。
みんなの視線がそれてよかったと、ほっとする一方。その男の子ことがうらやましくて。ちょっとだけ、日菜の胸はざわざわした。
と、――。
「まずは司会進行役のクラス委員長、副委員長から決めましょうか」
佐藤先生の声に、日菜はあわてて正面を向いた。教室内を見渡して、
――一番、後ろの席でよかった。
そう、思った。
新しいクラスメイトたちの背中を見ていると、胸が痛くなる。
日菜が来ているのと似た、紺色のブレザー姿。でも、よく見るとやっぱり違ってる。
生地の色の濃さ。
スカートのひだの細さ。
ブレザーのえりの形。
ちょっとの差だけど、日菜にはすごく大きな差に見えて。ここはお前の居場所じゃないんだと突きつけられているようで。
日菜以外、みんな。同じ制服を着たクラスメイトたちを見ないように、下を向いたのだった。
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