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日菜がドアを開けると、チリン、チリン……と、ドアベルが鳴った。
「……」
ドアベルの音に、カウンターの中でカップをふいていたおじいちゃんが顔をあげた。
背が高くて、細くて、目つきが鋭くて。おじいちゃんはタカみたいな顔をしている。無口で、無表情で、ちょっと怖い。
おばあちゃんは小さくて、ころころとしていて、アザラシみたいな感じで。表情もころころと変わる、すっごくおしゃべりな人だった。
てっきり口をはさむすきがないくらいにおばあちゃんがしゃべるから、おじいちゃんは黙っているだけなんだと思っていた。
「…………」
おじいちゃんが無言で窓際を指さした。座れ、ということだろう。
こっちに引っ越してきてから一週間。
日菜は、まだ一度もおじいちゃんの声を聞いていない。そもそも、小さい頃から一度として、おじいちゃんの声を聴いたことがあっただろうか。
日菜はおじいちゃんのタカみたいにするどい目に首をすくめて、店の中を見まわした。
喫茶・黒猫のしっぽは、昔はおじいちゃんとおばあちゃんの二人で。今はおじいちゃん一人でやっている。
四人がけのカウンター席と四人用、二人用のテーブル席が一つずつあるだけの小さなお店だ。
名前に喫茶とついているけれど、おしゃれなカフェといった雰囲気だ。
木目を生かした、全体的に白っぽい内装。多肉植物を寄せ集めた可愛らしい鉢植えがあちこちに飾られている。カップや食器は店名にちなんだ、黒猫モチーフの物が多い。
猫の手の形のスプーンとフォーク。フォークの方は爪を立てた猫の手だ。
メニュー立てもおすわりした黒猫。
ドアベルも猫の形にくり抜いた、五枚の小さな金属板がぶつかり合って、愛らしい音を鳴らす。まるで五匹の子猫がじゃれ合っているみたいだ。
カップの中をのぞきこむ黒猫の、しっぽの部分が持ち手になったコーヒーカップ。
多肉植物のあいだからも黒猫のしっぽや耳がのぞいていた。
全部、亡くなったおばあちゃんの趣味だ。タカみたいにするどい目付きのおじいちゃんには、ちょっと似合わない。
でも、おばあちゃんがいなくなった今もきれいにしてあって。とても大事に使っているのだとわかった。
そう思ったら、少しだけおじいちゃんのことが怖くなくなった。
カウンター席に一人、窓際の二人用テーブルにも一人、お客さんが座っていた。二人用テーブルに座っているお客さんは、日菜と同い年くらいの男の子だ。
紺色の丸襟のシャツに、ジーパン姿。大人びた格好で、背伸びして喫茶店に入ってみた……と、いう感じじゃない。
喫茶店で、一人で夕飯なんて珍しいな……と思いながら、日菜は四人用のテーブル席についた。
顔をあげれば、自然と男の子の後ろ姿が目に入ってきた。
――あれ?
その後ろ姿を見て、日菜は首をかしげた。なんとなく見覚えがある気がしたのだ。のど元まで出かかっていたのだけど――。
「よう、日菜。ハルちゃんの葬式んとき以来か」
名前を呼ばれて、ハッと顔をあげた瞬間に引っ込んでしまった。
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