21人が本棚に入れています
本棚に追加
冗談じゃねえ
咄嗟に逃げようと思ったが、とてもあの玄関から外には出られない。窓から逃げようにもここは三階だ。
音もなく閉まった扉に震えながらスマホを手に取った。ホラーにありがちな電波が届かないなんてことはない。光る画面と電波の表示にすこしだけ胸をなでおろし、LINEを開いた。布団の隙間から顔を出し、警戒しながら電話する相手を探した。
高く明るい呼び出し音が不気味に聞こえた。早く出ろ。早く出てくれ。
「……もしもし?」
「お、おお。颯士。やべえ、来てくれ」
「は? 何時と思ってんだ?」
「悪い。マジでやべえ。信じてくれねえかもしれねえけど霊が出た。やべえ女に捕まった」
手でスマホを覆い、目線は玄関を警戒しながら話した。
「なんだそれ? 勘弁。二時だぜ、今」
「金払う。なんでもする。場所送るから、頼む」
「なんだそれ……」
面倒くさそうな颯士の声を遮るように電話を切り、地図アプリを開いた。現在地を颯士に送信すると既読の文字がついた。
『明日朝早いから万な万』
『分かった。1万払う。ごめん』
早く来い。とにかくそう願って拳を握った。玄関扉が開かないか、怖くてたまらない。ハッと気づき汗を垂らした。颯士が着いても玄関に来る前に何かあったら……。もう一度LINEした。
『着いたら電話くれ』
既読はついたが返信はなかった。
二十分経ったろうか。恐怖に怯えながら玄関扉を見続けているとスマホが震えた。驚いて声を出しそうになる。慌てて通話ボタンを押した。
「おう。お前ふざけんなよ?」
「颯士。すまん。着いたか? ありがとマジで」
「なんもねーじゃん。ふざけんなよ」
「何言ってんだ。煉瓦のマンションだ。そこの三階。窓から手振るからちょっと待ってろ」
おそるおそる玄関から背を向けて窓際に歩み寄った。結露して白くなった窓を開けた。この辺りは外灯が少ない。夜の闇に目を凝らし颯士の姿を探した。
「颯士、どこだ? 俺、見えるか?」
「はあ? そもそも建物なんてねえよ。なんだ、ここ。墓じゃねえか。マジでふざけんな」
墓だと? そんなもの近くになかったはずだ。血の気が失せるのが自分でも分かったところで足下に異常を感じた。動くものが足の甲にあたっている。
猫か。足下に目を向けると、にゃあ、と声がした。やけにか細く幼い泣き方だった。お前も怖いのか。そう声をかけてあげようとしたとき、足下からの鳴き声の違和感に気づいた。
にゃあ
にゃお
みゃお
にゃあ
一匹じゃない。
おそるおそるスマホを足下に向けると、四匹の仔猫が足に群がっていた。
うわあぁぁぁ
「あん? もしもし? タカシ? なんだお前? 猫の鳴き声すんぞ?」
ベッドから視線を感じた。ベッドに悠然とあの猫が寝ていた。こちらを見ていた。
いつ産んだんだ? さっき布団で俺の足下にいたはずだ。
「おい、タカシ? ニャアニャアニャアニャアうるせえよ。おい、大丈夫かよ?」
猫が笑った気がした。
「てめえマジでいたずらかよ。もう帰るぜ。許さねえ」
待ってくれ、颯士。
猫がベッドをゆっくりと降りた。こちらへひたりひたりと歩いてくる。仔猫が足にしがみついている。振りほどこうとするも信じられないほどの力で両足が押さえられた。遠く、原付が遠ざかっていくエンジン音が聞こえた。
猫が目の前に来てとまった。
猫の口が横に大きく広がった。
「産めたわ」
了
最初のコメントを投稿しよう!