Day0, 5 不思議な土方歳三

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Day0, 5 不思議な土方歳三

 気づけば朝だった。  目の前には見慣れた天井がある。 「なんか変な夢見たなー。やっぱ一晩だけの催眠じゃ駄目かあ」  せめて夢の中でも恋を味わえれば、と思ってユイに頼んだのだが当てがはずれた。  だが目覚めたことで頭がクリアになったようだ。 「あ、そうか。催眠術は演じる前にやってもらえればいいんだ」  なぜそんな当たり前のことに気がつかなかったんだろう。  水谷演じる土方歳三に恋をする、そういう催眠をかけてもらえばよかったのだ。  こういう時、猪突猛進で思い込みの強い自分の性格にうんざりする。そういえば、催眠を頼んだときのユイは珍しく幾度も反論しようとしていた。それを強引にやらせたのが失敗だった。  それでは舞台テストの直前にユイに来てもらうか、と、約束を取り付けるべく枕元のスマホを取ろうと横を向いたところで。  わたしの思考は完全に固まった。  そこに見知らぬ男が寝ていたからだ。 「……なんで?」  一瞬呆けてしまったが、乙女の本能で無意識に我が身のいたるところを触っていた。  服は着ている。  下着も身に着けている。  どこも痛いところもないし、あざもない。  次に貴重品をチェックしようと動きかけて、そこでようやくわたしの常識が発動した。  おそるおそる顔を動かすと、その男はやはり着物を着ていた。目の錯覚などではなかったようだ。 「……なんで?」  わたしよりも年上だと思われるその男はひどく端正な顔をしていた。閉じられた瞼の先には長い睫が広がっていてまるで人形のようだ。後頭部、高い位置で一つに結んだポニーテールは背の中ほどまでの長さがある。小さく長い呼吸の様子は熟睡しているからなのだろう。そして手元には――黒い鞘に納められた日本刀がある。  うちの部の小道具の刀とそっくりなものがなぜかわたしのベッドの上にある。  本物かどうか確かめようとつい手が伸びたところで、男の手にぐっと捕まれた。  あわや心臓が止まるかと思うほどに驚いた。  とっさに見ると、男は敵意むき出しでわたしをきつく睨み付けていた。さっきまで眠っていたはずなのに、一転して臨戦態勢に入っている。 「女……俺の刀に触れるな」  腹の底から低く響く声にはただならぬ気配を感じた。これが賊に言う殺気というものではないか、と、平和な国で生まれ育ったわたしですら察することができる危うい雰囲気が男から発せられている。片肘を立て、男は鞘の上から剣を掴んで起き上がった。正面から向き合うと男の凶暴さがひしひしと伝わってくるようだった。まるで男自身が抜き身の刀かのように。  この男のそばにいては危険だ。  そう思ったが、それを上回るほどの怒りが突如湧き上がってきた。 「…………俺の刀に触れるな? ふざけんじゃないよ」  男以上に低い声音に、対する男が眉をひそめた。 「なんだと? 今なんと言った」  わたしは大きく息を吸い込むや――思いきり怒鳴りつけていた。 「ここはわたしの家でわたしのベッドだ! あんたの方こそふざけんじゃないっ! コスプレ野郎はどっかに消えろ!」  男は意外にもわたしの迫力に気おされ、やや目を見開いて硬直した。  だが変態に同情する優しさなどわたしは有していない。というか、考える間もなく手が動いていた。ばちん、と男の頭を平手で叩き、さらに怒鳴っていた。 「さっさと消えろ! いつまでもここにいたら警察呼ぶからねっ!」  もう一度手を振り上げると、男は「ひっ」と小さな叫び声をあげた。 「ごめん叩かないでっ」  一オクターブ高くて細い声は変声期を過ぎていない少年のようだった。  体を縮こませ、上目使いで、さっきまでのあの偉そうな態度は夢幻だったのだろうか。いや、さっきまでの言動のほうがこの男の外見には似合っている。今のこの、子兎のようにぷるぷると怯える姿のほうが嘘くさい。  家に侵入された警戒心がものの見事に増幅された。 「今から正直に言うんだよ!」  もう一度手を振り上げてみせると、男はこくこくとうなずいた。 「あんた、一体どうやってここに入り込んだんだ!」 「……わ、分からない」 「分からないだあ?」  すごんでみせると、男は涙目になった。 「本当に分からないんだ。確かゆうべ、なおと話していたと思ったんだけど、気づいたらここにいて」 「なお?」 「僕の姪っ子だよ」  自分のことを、さっきは俺と言っていたくせに今は僕と言う。  だがこいつくらい僕という呼び方が似合わない男をわたしは知らない。 「じゃああんたの名前は?」 「ひ……」 「ひ?」 「ひじ……」 「おらっ。さっさと言え!」 「はい、土方歳三です!」 「……土方歳三?」 「はいいっ」  その瞬間、夢で見た光景がぱっと脳裏によみがえった。 『……あなた、歳三さんのこと好きなんですか?』 『お願いします。歳三さんが京都に行ってしまわないように協力してくれませんか――』  思い出した途端、男の頭の先から足の先までくまなく検分していた。 (この格好、この突然の登場!) (ありえない、ありえないけれど……!)  もうすでに確信していたけれど、それでも最終確認をするために尋ねる。 「あんた、本当に土方歳三なの?」  無意識で握りしめていたわたしの拳をちらりと見るや、男の顔が真っ青になった。 「はい、土方歳三です!」  * 「……なるほどね。つまりあんたはお仲間と一緒に京都に行こうとしていたんだけど、その姪っ子に引き留められていたらここに来ちゃったってわけ」 「そうなんです……」  ベッドの上、胡坐を組み、腕を組み、尋問調で話を整理していくわたしに対して、男は畳に降りてひどく緊張してうつむいている。当然正座だ。立場さえはっきりさせればどちらが上でどちらが下かはきっちり定義できる。 「僕が行っても役に立つわけないって、そうなおに言われてかっとなって。でもそこから記憶がないんです」 「……タイムリープ、か」 「はい?」 「ううん、なんでもない」  説明しても理解できないだろう。 「ところでその話し方のほうが素なの?」 「は、はい。京都みたいな治安の悪いところに行くんなら、言葉遣いと態度を変えなくちゃいけないって、そうなおに言われてこのところずっと頑張ってたんです。さっきも一生懸命やってみたんですけど……変でした?」  あどけない表情でこてんと首をかしげた男は、聞けば御年二十八歳だそうだ。  わたしよりも七歳も年上で、黙っていれば年齢以上の色気が出そうなほどの美形、なのにその『こてん』はないだろう。  男の身長はおそらく170センチない。わたしが164センチと女子にしては背が高い方だから、言い合いでも、たとえ腕力に物を言わせることになろうとも、こんな奴に負けるとはとうてい思えない。  確かに初対面では『こいつは危険だ』と直感した。それでもつい怒鳴ってしまったのは、つまるところは複合的に判断してそう結論づいたからだ。  実際、こいつは見かけだけの男だった。  でも見かけだけの男でよかった。でなければ、冗談ではなく本日付でこの命は消えていただろう。なんといっても相手は本物の土方歳三で、しかも真剣を保有しているのだから。そろそろ本気でこの思い込みで動いてしまう癖をなおさなくてはいけないのかもしれない。  でもまだ短い時間を共に過ごしただけでも分かることがあった。  この男は本当に今のふるまいの方が素で、自然体なのだ。  なおちゃんというのはあの夢で会った女の子なのだろうが、なおちゃんがこいつを改造しようと必死こいた気持ちは十分理解できる。もうすぐ三十歳になるというのにその言動はないだろう。それで京都に行って新選組の副長を名乗る強者になれるのか? ……いや、無理だろう。絶対無理。平隊士だって無理だ。  ちなみに、なおちゃんの本名は佐藤なおで、結婚したお姉さんの子供なんだそうだ。聞けばなおちゃんはまだ十六歳らしく、そのくせ叔父であるこいつはなおちゃんに頭が上がらないらしい。 (まあでも、そういうところがいいんだろうな)  ギャップ萌えというのだろうか。この男、近藤勇に京都行きを誘われるくらいなのだから剣術の腕は確かなのだろうし、今どきの日本人ではめったにお目にかかれない鍛え上げられた体をしている。なのに中身はわたしよりも子供みたいでめそめそしてて……好きになる気持ちも分からないでもない。庇護欲をかきたてられ、それが高じて恋愛感情に発展してしまったのかな、と勝手に想像する。  そう、わたしは恋愛経験ゼロだから、こういうときはにわか仕込みの二次元データから推測するしかないのだ。昨日丸一日かけて習得した知識は意外にも役立っている。 「そのなおちゃんって子、わたしたぶん会ってるよ」 「え? なんで? どこで?」  くりっと目を丸くしたところなんて、まるで子犬みたいだ。さっきは子兎で今は子犬、つまりは小動物系ってことだ。 「夢の中」 「夢……?」 「うん。あんたのことを助けてって言ってた。京都に行かせないでくれ、そっちで預かってくれって」 「……ええー。でも僕、京都に行かなくちゃいけないのに」  頭を抱えてうずくまってしまった男は、やがて悩むのにも疲れたのか顔を上げた。 「あの、ちなみにここはどこなんでしょうか」 「ここは山口県。山口って言うのは……んと」  スマホで検索する。 「あ、そうそう。長州藩とかがあったところ」 「そうじゃなくて。あ、いや。それよりも知りたいのは、ここはどこかってことです」 「だからここは」 「あの、だから」  言いよどむ男に、わたしはようやく悟った。 「そっちか。うんそう、ここはあんたのいた時代のずっと先の未来だよ」 「み、らい」 「たぶんあんまり詳しく話さないほうがお互いにとっていいと思うから言わないでおくけど、ここはあんたがいた場所と同じだけど、ずっと先の時代だってことだけ覚えておいて」 「その話さないほうがいいというのは?」 「下手に色々と知り過ぎるとあんたの時代が変わってしまうかもしれないでしょ?」 「そういうものなんですか」 「わたしも実際経験したことなんてなかったけど、常套文句みたいなものだからね。勝手に過去を変えてはいけないってのは」 「はあ。確かにここは僕のいたところとは随分違いますもんね。あとですね」 「まだ何かあるの?」 「あなたのお名前を教えてもらえますか」  言われ、そういえば自分の名を名乗っていなかったことにようやく気がついた。 「わたし? わたしはタエ。本庄タエ」 「タエ、さん」 「タエでいいよ。みんなそう呼ぶし、わたしのほうが年下だし」 「そ、そういうわけには。見知らぬ女子(おなご)を呼び捨てにするなんて」  恥じらいうつむく男の姿は、このところ鬱屈した気分でいたわたしの心をくすぐった。 (なんだ……こいついい奴じゃん) 「じゃあさ、わたしもあんたのことトシって呼ぶからそれでいい? あと敬語はお互いなしにしようよ」  そう提案すると、男は耳まで真っ赤になってしまった。  もう誰に判定されなくても分かる。  こいつは無害だ。  そう思ったら肩の力が抜けた。  最後の最後まで警戒していた心の壁はあっけなく崩れ落ちた。 (……なら、こいつはしばらくうちで預かってやるとするか)  なおちゃんの方はこいつが京都に行かずに済むようにしばらく隠しておきたいだけのようだったし、ホームステイにちょっとつきあってやるくらいのつもりで関わっておけば済みそうだ。タイムリープも移動手段の一つくらいに捉えておいても困ることは何もない。  考えてもどうしようもないことをいつまでもぐちぐち悩むのはわたしの性に合わない。  だったらこの非現実的なイベントを楽しまないでどうするというのだ。 「あの、あと」 「まだ何かあんの?」  きっと睨むと、男は身を縮こませた。 「いえ。何でもありません」
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