Day1, 2 絶対に合格したい

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Day1, 2 絶対に合格したい

「でもどうすっかな……」 「何が?」 「いやだから。わたし、トシに構ってる暇ないんだよね。舞台テストがあるから」 「ああ、そうか」 「舞台てすと?」  すとんと腰を降ろし、律儀に正座をしたトシに、わたしは手をひらひらと振ってみせた。 「いいのいいの。トシには関係ないことだから」  それにトシがむっと唇をとがらせた。 「こうしてお世話になっているんだから、僕だって何かタエさんのために役に立ちたいんだ」  その目があまりに真摯で、うっと言葉につまってしまった。  家族でもなかなか見せることのできない表情だ。  すると横でユイがぽんと手を打った。 「そうだよタエちゃん、ここはトシくんに助けてもらいなよ」 「はあ? 何言ってんの。トシに分かるわけないでしょ」 「それこそ分からないじゃない。ねえトシくん、実はね」 「ユイ!」 「実はタエちゃん、劇で主役の座を降ろされそうなのよ」 「まさかそこから話すのかっ」  びしっと突っ込みを入れたもののユイは構うことなく説明していった。 「テストっていうのは試験のことなの」 「試験……つまりタエさんは試されるということか」 「そう! 試されるってこと」  教育学部のユイは小学生の家庭教師を二つ掛け持ちしているだけあって、他人に何かを教えるのがうまい。その教え方は精神年齢の低いトシにも合っているようだった。 「上手にその役を演じることができないと、タエちゃんは泣いちゃうってわけ」 「誰が泣くかっ」  もう一度突っ込んだが、トシはユイの言葉を真正直にとらえてしまった。 「タエさんが……泣く?」 「そう。タエちゃんがえーんえーんって泣くの。悲しくて泣いちゃうの」 「こらこら。わたしがいつ泣くって?」 「でもタエちゃんが試験に合格したいと思っているのは本当で、役を降ろされたくないって言うのも事実でしょ?」  ずばっと言われ、わたしはうなずくしかなかった。 「う、うん。それは確かにそうだけど」 「ほら、聞いた?」  ぱっと顔を輝かせ、ユイが両手を合わせた。 「だからね、トシくんにタエちゃんのことを手伝ってもらいたいの。いいかな?」 「僕にできることならなんでもするよ」  小学生の模範解答のようだ。  三十歳近い江戸時代の男からその言葉を引きずり出したユイの将来が……怖い。 「ああよかった。トシくんならきっとできるよ」 「本当?」  認められて心底嬉しいのだろう、トシの切れ長の瞳がだらんと下がった。ほんと、黙ってすました顔をしていれば美形なのにもったいない。 「じゃあこれからトシくんはなおちゃんが言ってたような大人っぽい人になってくれる?」 「なんで?」  トシが目をぱちぱちとしばたく。  急な話題の転換についていけないのだ。  ユイがにっこりと笑った。 「タエちゃんね、今度舞台で大人な武士に恋する女の子の役をするの。だからよ」  それでも不可解そうな顔をしているトシに、いつもそうしているのだろう、ユイは嫌な顔をすることなく丁寧に説明していった。 「実はタエちゃんは恋をしたことがないの」  深刻そうな顔を作って見せたと思ったらそれか。 「でね、今度の役は大人な武士に恋をする役なんだけど、その表現がうまくいかなくて相手役の男の子に逃げられちゃったのよ」  正しいよ、正しいけどさ。 「その男の子にね、『恋したことがないから駄目なんだろう』って言われちゃって、タエちゃんはえーんえーんしたの」 「それは違うっ」  そこは絶対に否定したい。 「わたし泣いてなんかいないから!」 「でも嫌だったんでしょ?」 「それはそうだけど、でも」 「なるほど、その男はひどい奴だね」  納得してうなずくトシはもはやわたしの話を聞いていない。  すっかりユイの生徒に成り下がっている。 「でしょう? それにね、タエちゃんは本当に演劇が好きなのよ。だから四日後、タエちゃんはその試験に絶対に合格したいって思ってるの。そうだよね、タエちゃん」  こちらを見たユイの目は、まるでわたしの覚悟を問うているようだった。  だからわたしは一度小さくうなずき、腹に力を入れて答えた。 「うん。絶対に合格したい。主役の座はわたしのものだし、水谷のことをぎゃふんと言わせたい!」 「ぎゃふん?」  不思議そうなトシの視線は素直に先生の方を向いた。 「こらしめたいってことよ」 「なるほど。タエさんはその水谷という男をこらしめたいのか。確かに女子に対して優しさのないその言動は目に余るね。よし分かった、僕頑張る!」 「おおー」  ぱちぱちと拍手するユイを睨み付ける。 「やめてよ」 「いいじゃない。タエちゃんは効率のいいテスト対策ができるし、トシくんは一宿一飯の恩を返せるんだし。他にすることもないんだからちょうどいいでしょ」 「でも」 「じゃあ他にどんないい方法があるの? 四日なんてすぐだよ? このまま後輩に役をとられて本当にいいの?」  図星に何も言えなくなった。  実際、昨夜の催眠術だって最後の手段だと思ってユイに頼んだのだ。ユイはあまりに術にかかりやすいわたしを心配して、よほどのことがないとそれをやってくれない。たとえば中二の初舞台の前とか、中三のコンクールの前とか。あと高一と高二と高三と。 (……あれ?)  今頃気づいた。  ユイが術をかけてくれるのは決まって大事な舞台に関係するときだけだった。  大学生になってから初めて頼んだのが昨夜のことで、だからユイは承諾したのだ。わたしがどれほどせっぱつまっているか分かって。わたしがどれほど演劇に自分を賭けているか知っていて。 「……ユイの言うとおりだ。ごめん」  素直に頭を下げると、ユイはわたしのことをぎゅっと抱きしめた。 「いいんだよ。タエちゃんはまっすぐで、まっすぐだからこそどっかに行っちゃうことがあるのはよくあることだから。そういう時はわたしがいつでも引き戻してあげるし、こっちがいいよって言ってあげる」 「ユイ……」  二人固く抱擁しているのを、トシは優しい目つきで眺めていた。
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