【86 】

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 あの晩、『BOOKS アーミテージ』傍の駐車場からC班の持ち場へと歩いて移動する間、僕は池脇竜二さん、伊澄翔太郎さんとたくさん話をすることが出来た。正直に言えば、この時彼らと話せたことが、今回このタイミングで自首を決めた僕の心の最後の後押しとなった。最初のうちは、彼らのバンド『DAWN HAMMER』関連の音楽の話だった。だが、僕の顔によっぽどネガティブな感情でも書き殴られていたのか、池脇さんたちの方からこう切り出して下さった。 「相談には乗らねえ。けど、話を聞くくらいはするぞ」 「池脇さん……僕、そんなに変ですか?」  池脇さんと伊澄さんは顔を見合わせ、ああ、と頷いた。 「なんつーか、面倒臭いんだよ」  と池脇さんは言う。 「え?」 「聞いてくれオーラを出すわけじゃない。そのくせ、何かあるぜオーラだけはびんびんで出てんだよ。お前さ、基本的にデスメタルじゃないんだよな。なんつーかなぁ……プログレ?」 「あははははッ!」  池脇さんの例えに伊澄さんが手を叩いて笑い始めた。 「いや、あの、そのメタルのジャンルで例えられても全然ピンと来ないんですけど」 「だから複雑すぎんだよ、お前」  伊澄さんは言う。「なんでさ、出会って十年も経ってんのにいまだに池脇さん!? とか言ってんの。こんなやつ呼び捨てでいいんだよ、おい竜二!っつって」 「いや無理ですよ。年上だし、それ複雑とか関係あります?」 「結局そこの距離感を決めてんのは竜二なじゃくてお前なんだよ。それってどうなのよ」  言われて僕は、正直ドキリとした。 「は……はあ」 「何があったんだ?」  と伊澄さんが聞いてくれた。 「え、だけど相談には乗らないんですよね」 「乗る乗らないは俺らが決める。まあ、乗らないと思うけど」 「何なんですか」 「お前さ。この数年でちょっと雰囲気変わったよな」  唐突な池脇さんの指摘に、思わず僕は歩くのをやめてしまった。  そして僕は決心し、二年前の出来事を彼らに打ち明けた。むろん、『九坊事件』の話をしても池脇さんたちには理解できない。だから、僕が人を殺した人間であることだけを伝え、自首すべきかどうかで悩んでいることを伝えた。この時僕の心は既に、答えを出していたに近い。しかし僕の中にある弱さが、あと一歩を踏み留まらせていたのだ。どういう思考回路をしているのか分からないが、池脇さんも、そして伊澄さんも、何故かあまり驚いた様子はなかった。  途中、道端の自販機に立ち寄り、池脇さんが缶ジュースをおごってくれた。午後の紅茶、ストレートだった。僕はブラックコーヒーが良かったが、嬉しかったので言わなかった。 「あの、さっきもいたけど、坂東ってオッサンな」  と池脇さんが言う。「もう、二十年くらいになんだよ、知り合って」 「え、長いですね! 僕より長かったんですね!」 「出会った時から警察の人間でよ。……まあ、そういう付き合いだよ」 「ああ、補導されたことがある、とか?」  ぷ、と伊澄さんが笑った。 「違いました?」 「昔さ、俺らの高校時代の後輩が、わけあって人を殺したんだよ」  と伊澄さんは言う。「正当防衛ってことになると思う、話の中身を知ってる人間から見ればな」 「そう……なんですか?」 「ああ」  僕の視線を受けて池脇さんは頷く。「うちのバンドにさ、大成ってのがいるだろ。ベースの」 「ええ」 「あれともう一人、アキラってのがいて、この四人が同い年の幼馴染でな。そん時も、ちょうど綺麗に真っ二つに意見が割れて揉めたんだよな」 「何故ですか?」 「その、人を殺しちまった男の、なんてーの……これからどうすっか、みたいな話で」 「……なるほど」  池脇さんたちは当時まだ十代で、人を殺してしまった少年は、そんな彼らよりもさらに若かった。池脇さんは正当防衛であることを考慮し、わざわざ自首する必要はないという答えを主張した。人を殺してしまった、そこに至るまでの経緯はあえて聞かなかったが、出頭するのが単純に怖かった、という理由でないことは彼らの目を見れば分かった。 「何よりさ、そいつの面倒を見てた自分たちにも責任の一端はある。あいつだけを行かせんのはどうなんだって。そういう思いもあった」  池脇さんらしい発言だと思った。しかし、意見を戦わせた大成さんの言い分は真逆だった。絶対に出頭させるべきだ、そう言って譲らなかったそうだ。 「伊澄さんは、その時どういうお考えだったんですか?」  尋ねる僕に、彼は首を横に振った。 「どっちでもいいって」 「え?」 「どっちも正しいから、どっちでもいいって。俺もアキラもそう思ってたかな」 「……なるほど」 「そん時さ、大成は言うわけ」  池脇さんは飲み終わった空き缶を握り潰し、当時を見据えるような目付きで僕を見つめた。「人生を棒に振らせるわけにはいかない、ってな」  ……確かに。 「けどよ、俺は納得できなかった。あいつ言ったんだよ。この幼馴染四人の、この四人のうちの誰かが人を殺したんなら、俺も竜二と同じことをするって。それが例え何だって、どんな罪だって一緒に引っ被ってやるよって。だけどよそ様の人間の未来を、感情論だけで俺は背負えないって、あいつそう言ったんだ」 「……」 「俺はその言葉を、薄情だと言って罵った。だからめっちゃくちゃ、もう死ぬほど揉めた。けど、本当は違うんだよな。まともなのはあいつ、大成の方なんだよ」 「……どうなんでしょうね。僕にはなんとも」 「そんな時にさ、あの坂東さんと出会ったんだよ。事件の捜査関係者としてな」 「なるほど」 「あのオッサンさ」  と伊澄さんが言う。「俺らが後輩匿った上で意見バチバチで揉めてるってことにすーぐ気が付いてさ、こう言ったんだよ。……俺が面倒見てやる、って」  だがもちろん池脇さんも、そして意見を戦わせる大成さんも迷った。警察関係者に身柄を預け、判断を委ねることはすなわちそれが『逮捕』となりかねない。確かに、自分たちだけで答えを出せずにいた。だからと言って、警察の人間にそれを委ねていいのか、信用できるのか。 「面倒見てやるって、そう言ったんだよあのオッサン」  伊澄さんは煙草に火をつけ、吸う?と僕に聞いた。 「いえ」 「預かるでも、良いようにする、でもなかった。面倒を見るって言いやがったんだ。だから俺たちは、それに賭けた」 「なるほど」  坂東さんらしいな、と思った。 「だがその代わり」  池脇さんはそう言って、苦々しい顔で首を横に振った。 「……?」 「いつか俺がお前らの力を必要とした時は、絶対に首を縦に触れ。そういう条件付きだった。それが……二十年前の話さ」  言っとくけど、と伊澄さんは言った。 「お前が自首しようがしまいが俺はどうだっていい。だから、どうしたらいいですかーなんて絶対に聞くなよ。そんなクソみたいな相談には絶対に乗らない」  分かってますよ、と僕が答えると、 「ただまあ」  と池脇さんは言った。「てめえに嘘をつける人間は、あんまり好きにはなれねえよ。そいつはこの先、いつかまた自分を騙すんだろうし、そうやって自分を傷つける人間は、きっと自分以外の大切な人間も傷つける気がする」  言ってから、池脇さんは少し照れたような顔をした。ややキザな言葉ではあったが、それは池脇さんの本音だと僕にはわかっていた。本音だからこそ言った後で、しまった、なんて顔が出来るのだ。 「まあ、あれだよ、あの坂東ってオッサンはよ、なんだかんだ言って二十年間俺たちとの約束を忘れてなかったってことだ。だろ?」 「そうですね」 「だから俺らも、もしお前が覚悟決めて刑務所入るってんなら、お前が出て来るまで娘の面倒見てやるよ」 「え? そ……」  ……相談になんて乗らないと言ったくせに? 「殺人罪って何年喰らう?」  と、伊澄さんはデリカシーのない事を池脇さんに聞いている。 「知らねえよ、十年とかか?」  答える池脇さんも適当である。「五年でも十年でもかまやしねよ。ただ二十年経ってたら、そん時はプログレなんか目じゃねえ、娘を立派なデスメタラーに仕上げちまってると思うけどな」 「そうねー、それは間違いないなぁ」  伊澄さんはそう笑って答え、だけどよ、新開、と僕の名を呼んでくれた。「ここだけの話にしてくれってんなら俺はそうしたっていい。お前ら家族の人生なんか背負えないし、責任取る気もねえ。だけど一個だけ思うんだよ。お前、娘が心配だからーなんていう、クソみたいな言い訳盾にして守りに入ったりするなよ。そんなもん、優しさでもなんでもないからな」  視界が歪み、僕は深々とを下げた。 「一本だけ、煙草頂いていいですか?」 「箱ごとやるよ」  僕は、伊澄さんに火をつけてもらった煙草の煙を思い切り吸い込んだ。僕の中にあるどうしようもない弱さや迷いを、その時の煙が覆い隠してくれた。  僕が礼を述べると、池脇さんは、僕の背中を優しく強く、叩いてくれたのだ。  
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