蝉時雨

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蝉時雨

 蝉時雨に誘われて並木通りを歩く。今年の春まで毎日通った道。正午間近の歩道には並木の影が掛かることもなく、ジリジリと太陽の熱を照り返している。降り注ぐ蝉時雨が体感温度を更に上げて、流れる汗がTシャツに吸い込まれてゆく。  佳来楽(かくら)高校前、のバス停で並木は一旦途切れる。そこを右に曲がり突き当たりまで歩けば、母校の正門が両手を広げて光希を待っている。その向こうには、また蝉時雨。  夏休みの部活動に去年のキャプテンが顔を出すのは何ら不自然なことではない。と、思う。けれど背中に汗が滲むのは暑さのせいはかりではない。緊張に足が(すく)みそうになるのを蝉時雨に助けられて、光希は校門を潜った。    ◆◇◆◇◆  体育館脇のプールから水を打つ音が聞こえてくると、光希は懐かしさに目を細めた。そのまま階段を上がってこじんまりとした石段(と言ってもコンクリートだが)の一番上に腰かける。ちょっとした観覧席になっているそこは、屋外プールのなかで唯一日陰が出来ており且つプール全体が見渡せる。水の中とプールサイドに二十人ほどの部員。そして、若い女性の顧問がひとり。  しばらく声も掛けずに、頬杖を突いてその光景を眺めた。少しだけうずうずする。大学に入ってからは特にサークル活動をしている訳でもない。やっぱり何か始めようか。そんなことを何となく思った。 「あ! 光希せんぱーい」  プールサイドの一人が光希に気づいて声を上げる。ぶんぶん手を振る彼女につられて、数人がこちらを仰ぐ。そのなかに、ストップウォッチを構える顧問もいた。光希の胸の奥がどくんと波打つ。  それを無理やり押し込めて光希は立ち上がった。 「練習中だろ? 上がってくんな」  笑いながら、駆けてこようとする連中を制止する。代わりに光希がプールサイドに降りて、顧問と並んでストップウォッチを構えた。 「ほら頑張れ! 目指せオリンピック!!」  無責任な大口に笑いながら部員たちがスタート台に立つ。あんなに大笑いしていても、そこに立った瞬間から表情が変わる。佳来楽の水泳部は強豪とは言い難いけれど、刹那にも満たない時間を縮めるために日々練習に明け暮れているのだ。  飛沫がきらきらと光って弾ける。水を掻く腕が夏の日差しを受けて小麦色に輝く。  懐かしいな。  光希は目を細めた。弾ける飛沫のように輝いていたあの頃。僅かな後悔がそれを曇らせている。だから光希はここへ来た。あの日の後悔を取り戻すために。
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