113人が本棚に入れています
本棚に追加
俺は止めていた息をゆっくりと吐き出す。
一ノ瀬の言いたいことは分かっていた。分かっていて、今日まで避けていた。十年前の回想まで使って強引に間を伸ばしてみようと悪あがきしようとしたことは認めよう。
だがもう逃げられそうにない。
一ノ瀬の瞳は真剣で、少し泣きそうでもある。
病気で弱っていたところを母親のように看病されてつい、心にもないことを……などと言える雰囲気では決してない。
というか、心にもないというのは間違いだ。
もしも偶然とタイミングが合わなければ口に出すことはなかったかもしれないが、俺は薄々自分の中の感情に気がついていた。いずれははっきりと言うかもしれないな、と思うことはあった。
嘘でも冗談でもなく、俺は一ノ瀬が好きだって。
けど、まさか、あのタイミングで言ってしまうとは。熱に浮かされていて、正直よく覚えていないのだ。
一ノ瀬があの時、どんな顔をして、どんな風に受け止めて、俺と付き合う気になってくれたのか、正直よく分からない。
俺たちはケンカばかりしていたし、出会った頃は天敵のようにも思う間柄だったのだ。
それがいつの間にこんなことになったのか。
いや、もう過去をほじくり返すのはやめよう。今までどんなことがあったかなんて、そんなことはもうどうでもいい。
問題は今、この瞬間。
放課後、一ノ瀬に捕まって、11月も半ばというクソ寒い時期に、病み上がりなのに何故か初デートで動物園に来てしまっている、この逃れられない状況で俺は何をすべきかということだ。
「本気、だよね?」
「……当たり前だろ」
「じゃあなんで、そんなに離れてるの?」
俺と一ノ瀬の間を仲の良さそうなカップルが手を繋いだまま通り抜けていく。俺たちはまるで運動会のゴールの端と端に立ってテープを持ち、走者を讃えるPTAのような距離にいた。
「もうちょっと近づいても、よくない? ……私達、付き合ってるんだし」
恥ずかしそうな一ノ瀬に、俺は内心焦りまくっていた。
やべえ。正しい距離感が分からない。もうちょっとって、どこらへん?
恋人同士になったらどこまで近づいていいの?
過去なんて振り返る余裕はないということが、これで分かっていただけただろうか。
最初のコメントを投稿しよう!