七夕の手紙

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毎年遅くなっているように感じる 梅雨入りの季節。 夏のむせ返るような暑さとは違い、 じわじわと、汗がにじむこの時期になると いつもあいつのことを思い出す。 「明日は七夕だな!」 そう言う俺の顔をまるで土偶のように、 目と口を丸くして見返す彼女。 しばらくそのまま思考が停止していた彼女は、 座っていたイスから立ち上がり、 お尻が隠れるほどの長い黒髪を掻き上げた。 「あのねぇ…あんたはいつも言うことが唐突すぎるのよ!」 口元はひきつり、眉間にシワが寄っている。 「雪が降れば、かまくらだぁ雪だるまだぁって言うし、桜が咲いたらやれ花見だ宴会だーって!楽しませてくれようとするのは嬉しいけど、少し落ち着いて話しなさい!」 怒った口調だが、威圧感はなくむしろ困惑しているような、はにかんだようなむず痒い表情をしている。 俺がバカなことを言って彼女が叱ってくれる。 そんな日々が楽しくて、終わるなんてことは考えてもいなかったんだ。 飽きもせずまた、今年もあの頃を思い出し懐かしさに浸っている。 。 。 。 「先生〜」 夕焼けの橙色に染まる教室に 澄んだ声が響く。 窓際の1番前に置いてある 担任用の机で作業していた男は手を止め 声のする方を向いた。 「もう下校時刻だよ!」 長い髪を頭の両側で結んだ女の子は急かすように両手を体の前で動かし時間を伝える。 「よし…じゃあ出発するか!」 「はーい!」 裏門から学校を出て、近くの山に登る。 よく人が登る人気の山なので ある程度道は整備されているが、 今回は途中から順路を変え 獣道のような所を歩いた。 十数分かけて頂上付近まで来ると 登り始めた時は綺麗に見えていた 橙色の丸い太陽もすっかり沈み 木々に囲まれた道はライトがないと 歩けないほど暗くなっていた。 「…着いた」 先頭を歩いていた先生と呼ばれる男が 呟くように声を発した後 後ろについていた女の子も 木々のトンネルを抜け 開けた場所に出て空を見上げた 「わぁ」 思わず感嘆の声が口から漏れる。 とてもすぐに言葉では言い表わせない 光景を目の当たりにしたのだ。 「今年も綺麗な天の川だ」 満足そうに見上げる男の目線の先には 宇宙の果てまで続くほどの 巨大な星々の塊が見られる。 薄紫色に淡く光るそれは まるで別世界への入口にも見える。 「これが、先生の好きな人との忘れられない思い出なんだね。」 数分の間、空に心を奪われていた女の子が 言葉の意味を噛みしめるようにゆっくり 口を開いた。 「あぁ、今日ここで一緒に見られないのが残念だよ。」 遠く天の川を見つめて目を細める。 「天の川にまつわる話で有名なのは、織姫と彦星のお話、そしてヘラとゼウスのお話だ。これは、見方によってはどちらも家族愛の話なんだ。」 「ずっと一緒に暮らしていたら、そりゃ楽しいことも嫌なこともたくさんある。でも、どんなときでも思いやりを持ってお互いを尊重して暮らしていく。それが家族だと思う。」 真剣に話してくれる言葉に女の子は 同じように真剣に耳を傾けて 伝えたいであろうことを頭と心で感じた。 そして、天に向かって両手を伸ばし 星々の道に声を走らせる。 「来年は3人で見に来るからね!」 それを聞いた男は誇らし気な笑顔で補足する。 「いや…4人で見にくるぞ!」 その言葉が届いたかのように 一筋の流れ星が走り 2人は顔を見合わせて笑った。 「じゃあそろそろ帰るか!」 差し出された右手を両手で掴み女の子は答える。 「うん!帰ろう…パパ!」 他の日でも見ることができる星々の流れ。 でも七夕の夜に見るのは特別な天の川。 世界中をその優しい光で照らしてくれる。 きっと今も昔もこれからも。
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