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「暑くないのですか?」
「暑いに決まってるだろ」
「でしたら、スーツでなくても……」
「お前だってしっかり燕尾服じゃねーか」
「私はこれ以外に着る服はございません」
「嘘つけっ」
夏の日差しが照りつける暑さの中、汗ひとつかかず涼しい顔の神楽坂と一緒に、俺は姫宮グループが所有する数あるキャンプ場のひとつにやってきた。
スーツ姿と燕尾服姿の俺たちは、どう考えてもキャンプ場には場違いだ。
それでもこんな格好でも出向いたのには理由がある。
「私はともかく、梨人様は普段着でよかったのでは?」
「あのなぁ、そういうわけにはいかないだろ、一応は親父の代理なんだから」
「梨人様が、そんなにしっかりと責務を果たされる御方とは知りませんでした」
「俺だってめんどくせーよ。でも親父に逆らうと後で何言われるかわかんねーし」
「そういえば、旦那様からしっかり視察してくるようにと申しつかりました」
うちのキャンプ場を、とある団体に貸したから視察に行ってこいと親父から連絡があったのが数日前。
屋敷から少し離れた場所だから、旅行がてら二人でゆっくりしてこいと言われてやってきたわけだが……
「しっかりってどこ見たらいいんだよ。ここからが入り口みたいだけど、すごい人だし、お祭り騒ぎのような雰囲気だぞ」
「野外ロックフェスらしいですよ」
「フェス?」
「何やらステージもいくつかあって、たくさんの有名なバンドの方々が参加されるらしいです。えっと……他には休憩できるテントやキャンプ場、ご当地B級グルメが食べられる屋台に……」
「おい……なんでそんな詳しいんだよ」
「梨人様が快適に過ごしていただけるように下調べは当然のことです。それに迷子にならないように」
「誰が迷子になるんだよ」
「梨人様に決まってるじゃないですか。御屋敷から出ると言ったらあの館に出向いていたくらいでしたから」
「あのなぁ、迷子になるわけないだろ。それに館の話はやめろ」
意地悪い笑みを浮かべながら、うわべだけの謝罪する神楽坂がムカつく。
自分だって強引な真似したくせに……と、喉のここまで出かかったのを飲み込み、歩を進めていると微かにピアノの音色が聴こえた気がした。
「なぁ、今ピアノの音しなかったか?」
「ピアノ……ですか?」
「ほら……」
音に誘われるように、聴こえてくる方へと歩いていくと、小さなステージ上で一人の青年がピアノを弾いていた。
「オープニングアクトの時間ですね。確か……WINGSというバンドのメンバーのおひとりだったかと」
「名前は?」
「……少々お待ちください、調べますので。えっと……おそらく、今西……光……様かと……」
「今西……光……」
まだ若いのに、今西光の奏でる音は強く惹きつけるものがあった。
繊細なのに情熱的で、希望に満ち溢れてるようなメロディーだけどどこか憂いを感じる。
「梨人様?」
「いいメロディーを奏でるな……アイツ」
「……梨人様、ピアノ弾けましたっけ?」
「弾けるわけないだろ。けど、小さい頃から聴く機会は多かったから分かるんだよ……好きで弾いてるか義務で弾いてるかくらい」
「今西様は……」
「もちろん前者だ。表情はもちろん、メロディーに表れてる」
「確かに楽しそうですね。それに、世界観と言いますか……いい意味で人を寄せ付けない独特な雰囲気があります」
「あの若さでそこまでの世界観を持ってるとは……」
不思議な魅力がある青年だと思った。何故か分からないが、アイツが奏でる音楽をもっと聴いてみたい……と。
「梨人様?」
「アイツのバンドが出るのは何時からだ」
「WINGSは……予定では昼十二時ぴったりからです」
「わかった」
**
関係者エリアで主催者に挨拶をして、会場をあちこち見て歩くうちにあっという間に十一時を過ぎていた。
「梨人様、WINGSを観るのなら早めに昼食になさった方がよろしいかと……如何なさいますか?」
「さっき通ったレインボーエリアだっけか、そこに屋台が並んでたろ。あそこで食べよう」
「流石にコース料理などはないと思いますが……良いのですか?」
「そんなことは分かってる。たまにはこういうのもいいだろう」
「明日は嵐でも来そうですね」
「どういう意味だよ」
「いえ。心配することはなかったということです」
そう言って、手にしていた資料を上着の内ポケットに仕舞うと、徐に俺の手を取った。
「な、何してるんだっ」
「梨人様が迷子にならない為の予防策です。それに、今日くらいは羽目をハズでもいいでしょう?」
俺の手を更に強く握り、そう口にする神楽坂はとても嬉しそうだ。
「そうだな。お前のそういう顔見るの久しぶりだ」
「顔……ですか?」
「親父に何か土産でも買ってくか」
「急にどうされたんですか?」
「いや、別に。ほら、昼飯食いに行くぞ」
どこにでもいる二十八のただの男という感じが逆に新鮮で、使用人としての顔とは違う神楽坂に少しだけ胸が高鳴った。
**
それからWINGSや他のバンドのライブを観て、気付いたらあっという間に夕方になっていた。
そう言えばライブ前、物販コーナーでWINGSのもう一人のメンバー、相羽勝行がグッズを手売りしている姿を見かけたが……そこに今西光の姿はなかったな。
「梨人様、今日はお疲れになったでしょう」
「疲れたけど、楽しかったよ」
「私もこういう機会はなかなかないので、リフレッシュさせてもらいました」
会場を後にして、近隣に建つ姫宮グループが所有するホテルに戻って来た俺たち。
夕焼けに染まる華やかな会場をバルコニーから見下ろし、今日一日を思い返していた。
「WINGSは有名なんだろ?」
「そうですね、ここ最近益々ご活躍されてるようです」
「そっか。素人の俺が言うのもなんだけど、二人ともいいものを持ってると思うから頑張って欲しいな。それに、アイツのピアノ……相羽勝行と一緒だとまた違う音になるよな」
「今西様のピアノ……ですか?」
「あぁ。いつか……うちのパーティーとかで弾いてくれないかなぁ」
「御屋敷で、ですか?」
「アイツ生意気そうだから、そう簡単には頷かないと思うけど」
「ですが、相羽様と一緒だったら……」
神楽坂の意味ありげな物言いに振り向くと、そのまま軽く口づけられた。
「……っ……おいっ、急にどうしたんだよっ」
「あのお二人を見ていたら梨人様に口づけたくなっただけです」
「どういう……っ……ん……」
理由を聞く前に、再び塞がれた唇。熱を帯びたそれを味わいながら、頭の片隅でぼんやりとその意味を理解した。
「……っ……梨人……様……」
「これ……っ……以上……んっ」
最上階のバルコニーとはいえ、外には変わりない。なのに、これ以上は……と、思いながらも強く拒めない。
「……本当は……っ……もっと、欲しいのでしょう?」
「……や、っ……ん、ふっ……」
ねっとりと舌を絡めとりながら囁く声に、腰が抜けそうになる俺を近くのソファーへと押し倒す。
「……舌、吸っただけで……もう、こんな……ですか」
「う、うるさ……いっ……んっ」
舌先を首筋に這わせながらそこをキツく吸われ跡を付けると、反応しかかった俺のをやんわりと触りクスリと笑われた。
「梨人様……ここで、最後まで……しましょうか?」
汗ばむ身体を押し付け、愛する男に耳元で甘く囁かれたら理性なんか微塵もない。
「……俺に……っ……き、聞くな」
ほんのり日焼けした首に両腕を回して引き寄せながらボソッと告げると、再びそれは再開される。
「可愛い……」
「うるさい、バカ……」
そして、マジックアワーが終わりを告げるころ、二人の熱い息遣いだけが夜風に流れ……静かに溶けていった。
END
【おまけ】
「なぁ、どうして七月なんだよ。普通、フェスって八月のクソ暑い時期にやるんじゃねーの?」
「それは、大人の事情がありまして……」
「なんだよそれ」
「仕切ってる、とある方の誕生日らしいですよ、今日が」
「ふーん……なるほどね」
「実は私と梨人様も関わりがある方です」
「え、マジで?!」
「まぁ、大人の事情で詳しくは申し上げられませんが……」
「またそれかよ。まぁいい、後で祝いの連絡しといてくれ」
「……かしこまりました」
END
~2020/07/26 Happybirthday!~
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