偽装天球

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家に帰ったアリスは手も洗わずに階段を駆け上った。彼女が目指したのは二階の廊下の突き当たりにある部屋、アリスの父の書斎であった。 アリスがドアをノックすると小気味良い音が廊下に響いた。 「パパ?入っていい?」 ドアを少し開け、その隙間から覗く様に室内を窺う。 「おや、アリス。帰ってきていたんだね、おかえり。入っていいよ」 ただいま、と言いながらアリスは中に入る。 ソファに座って本を読んでいた父の隣にぽすっと座った。 「何の本を読んでいたの?」 「あぁ、これは宇宙について書かれた本だよ。まだアリスには難しいかな」 父のその言葉にアリスは頬を膨らませた。 「そんなことないわ、私だって星くらいわかるもの」 「はは、そうだろうね。アリスは星が好きだから。でもこれは星だけじゃなく、宇宙全体についての本なんだ」 父は暗黒物質とか紐がどうとか教えてくれた。アリスは想像したより遥かに難しい内容について行けなかったが、それを悟られないよう適当に相槌を打ってごまかした。 「ところでパパ、パパは本当の星を見たことがあるのよね?どんな感じだった?」 アリスは父が宇宙の膨張について熱く語り出しそうなのを遮り話しかけた。 「え?あぁ…」 父は広げていた両手を膝の上に落とすと、どこか宙を見つめて言った。 「そうだなぁ、お父さんが子供の頃は星空というものが特別珍しいものじゃなかったからね、いつもそこにある物としてしか認識してなかったよ」 「夢がないわね」 アリスは口をとんがらせて言う。 「ハハ、アリスだってもしも空気が貴重なものになったら同じことを言うさ」 確かに、空気が無くなるなんて想像できない。パパ達にとってはそれだけ当然な物だったんだ。私はそもそもを知らないけど、でも逆に知っているからこそ、それを奪われる悲しみというものもあるのだろう。アリスはそんなことを考えた。 「…でも、そうだなぁ。お爺ちゃんの家の裏に小高い丘があるだろう?木が一本だけ生えてる。…お父さんが14歳くらいだった頃かなぁ、流星群が見れるって聞いてみんなで夜の丘を登ったんだよ」 父は目を瞑って微笑んでいる。 「あれはすごかった…忘れようにも忘れられない光景だったよ。白い点々が散りばめられた深い藍色の空に、輝く光の線が何本も何本も引かれるんだ。静止画のようでもありながら、動画のようでもある。視界の全てが星々で満たされることがあんなに幸せだとは知らなかったよ」 アリスは父に尋ねた。 「やっぱり旧天展示館の空とは違う?」 「アレもすごく良く出来ていると思うよ。お父さんが見てもキレイだと思う。…でも、そうだね。いつかにアリスが言っていた通り、人工の夜空と自然の空は別物だ。本物の夜空の闇はもっと温かで、透き通っている感じがしたよ」 「羨ましいわ、私も本物の夜空を見てみたかった」 肩にもたれかかってくる寂しげなアリスの頭を撫でながら父は言った。 「きっと見れるさ、時代が落ち着けば。『ガラハッド』が必要とされないような平和な時が来れば、きっと見れる」 「まぁ?パパが私に天体望遠鏡を買ってくれれば話は早いんだけれど?」 「うっ…あ、アリスが大人になったら考えるよ」 「逃げ口上にしか聞こえないわ」 クスクスと笑っていたアリスはいつしか父の肩を枕に夢の世界へと旅立ってしまった。
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